2009年6月/コラム

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2009年6月

霊符の注意点



霊符を持つにあたって注意する点が、いくつかあります。

まず、あたりまえですが、粗末に扱わないこと。

願掛け中の霊符を他人に見せたりしないこと。


それと万が一、霊符を無くしてしまったときは、

その霊符に込められた「祈願」を、いったん解くことです。


霊符を持つのも、手から離れるのも、それはすべて「縁」です。

その願いに縁がない時期だったか、あるいは叶う前兆かのいずれかです。

再度同じ符を作るのではなく、しばらく様子をみることです。


それと、

願いをしっかり叶えて貰うには「代償」が必要です。

いちばん手っ取り早いのは、

産土神社(うぶすな-じんじゃ)へお賽銭をあげるのが効果的です。


正式には、お賽銭の代わりに「金紙」を焼き、線香を焚き、供物を供えます。

金紙は前金で焼き、願いが叶ったら、お礼としてまた焼きます。

しかしぼくの経験では、一般人対象の場合なら、そこまでしなくても大丈夫でした。


「霊符って、どんな願いでも叶えてくれるの?」

という質問をよくされます。

基本的には、その願いにあった種類の霊符を使うことです。

そして自分の身の丈に合った願いなら、かなりの確率で叶えてくれます。


とうぜんですが、

努力をせず尊大な望みを願うとか、

ひとの恋人を横取りしたいとか、

あるいは犯罪や、呪いのたぐいには使うべきではありません。

「人を呪わば穴二つ」

他人を呪って殺そうとすれば、自分もその報いで殺され、

墓穴が二つ必要になる……という意味です。

人を陥れようとすれば、かならず自分にも悪いことが起こるのです。


taka

霊符とはなにか?

 

みなさん「霊符」ってごぞんじですか?


一般の人にはなじみが薄いかもしれませんが、

台湾道教や日本の陰陽道などで広く用いられている術のひとつです。


「霊符」は日本でも古くから、民間信仰や社寺を通して、

人々の生活の中に浸透し、現代に伝わっています。


通常は「護符」と呼ばれ、

まじない文を併用することで、呪符(じゅふ)とも言われます。


ここ近年では漫画や小説によって脚光を浴び、

とくにオカルト雑誌の特集や書籍がいくつか出版されて、

『秘符』が流出しました。


その結果、安直な方法によって書かれた「符」のために、

あまり効果がえられず、

「やっぱり迷信か……」

として軽んじられているようです。


まぁ、いわゆる、

「符を書いて効なく鬼に笑われ、符写して霊なく神に驚かれる」

という現状が悲しいですね。


さて。

ぼくの家系には、「霊符」を使った祈祷師が何代にも続いているのですが、

とくに曾祖父と実父によって書かれた護符には、

特殊な「呪(しゅ)」が封じ込められております。

ぼくはそれを幼少期から、病気になるとかならず身につけ、

回復を祈願してくれました。


また遠足や旅行、試験などの大切な日には、

前もって作り込んだ霊符を持つよう教え込まれています。


またお弟子さんたちには、

出産のときの護符、車守りの護符、改築のための護符など

ほんとうにたくさんの種類を下付しているようです。


護符=霊符は、いわば「念」を増幅させる装置なのです。

神仙界への嘆願書、もしくは依頼書だと考えてください。


神々のシンボルである文字や図形などを組み合わせて描かれた霊符は、

基本的には墨で書きます。


が、ぼくは即席の場合、普通のメモ帳にサインペンなどで書いて、

手刀で九字を斬り、指弾によって清め、

息吹きをかけながら呪(しゅ)を唱えて、霊を封じ込めます。


ちなみにぼくの経験では、印刷物だと効果が薄かったです。


本来は、儀式をつうじた謹製法にそって制作し、

依頼主がそれを所持したり、

ある部分に貼付けたり、

あるいは飲み込んだりして、

願望を強く念じることにより、神仙界との線が強化するわけです。


ですから「持つだけで願いが叶う」という保証はありません。


しかしながら霊符は「自己の念」が増幅する装置ですので、

「なんとかして叶えたい!」という強い念さえあれば、

願いが叶う時期が早まるのも事実です。


なので、霊符の効果が現れるのは、その人によって差が生まれます。

「ただなんとなく」という程度の想念や、

霊符に頼りきりになって、やるべきことを怠り、受身になっていたら、

せっかくの開運もあまり期待できないわけです。


さらに、使い道を誤ると危険な面もあります。

その願いが「自分だけのもの」である場合、ときに被害をかぶる恐れがあるのです。

つまり霊符にも「災い」を生む力があるからです。


ちなみにぼくは、「納音(なっちん)五行」の霊符とあわせて持つことで、

霊符が引き寄せる災いを防いでいます。

それが、どの本にも書かれていない秘伝というわけです。


taka

「食は運命を左右する」水野南北の『南北相法 修身録』が出版されました。

 

東海林秀樹先生の奥様でいらっしゃる

易学者の水沢有先生が、

『南北相法 修身録(全)』の現代語訳を発売されました。

水沢先生は「用気術」で知られる易と気学の大家・横井伯典先生の高弟です。

 


相学を学ぶ方は必読です。

東洋書院から出版されていますので、

お取り扱いは「原書房」(03−3261−7444)まで。



さて。

南北相法とは、水野南北という観相家がのこした名著です。

江戸時代中期の頃に生きた南北。

彼は、日本一の観相家といわれます。


いわゆる霊能者と呼ばれる人物ではありません。

しかし彼の人生は、じつに不思議な遭遇によって構築されたものでした。


幼児の時に両親を失って孤児となり、

鍛冶屋をしていた叔父に引き取られます。

性格はすさみ、十歳の頃から飲酒を始め、喧嘩ばかりの日々。


そして18歳、酒代欲しさに悪事をはたらき監獄へ。

しかし、牢内での生活を通じて南北は、

人相について興味深い事実を発見したのです。


罪人として牢の中にいる人の相と、

普通に娑婆生活を送っている人の相の間に、

明らかな違いがあると気づいたのです。


これがきっかけで、南北は観相学に関心を高めました。

出牢後、南北はさっそく名高い観相家を訪れ、自分の相を見てもらいます。


すると

「うぬ! おぬしは剣難の相がでておる。もってあと1年の命」

と宣告されたのです。


愕然とした南北。

「助かる方法はあるか」

と問うたところ、

「唯一の道は出家して坊主になれ」

とのこと。


しかし南北は天下稀に見るほどの悪相(凶相)の持ち主。

禅寺を訪れて入門を請うが、住職は南北の悪人面を見、断るために難問を押し付けます。

「これから1年間、麦と大豆だけの食事を続けることができれば入門を許そう」

と告げました。


助かりたい一心の南北は、港湾労働者として働きながら、

1年間、麦と大豆だけの食事をしたのです。

やがて1年が経過し、約束通りのことを実行した南北は、

禅寺の住職のところへ行く途中で、ふたたび例の観相家を訪ねます。


するとこの観相家、南北の顔を見るなり驚きます。


「あれほどの剣難の相がウソみたいに消えている。

おぬしは人の命を救うような、何か大きな功徳を積んだのだな?」


と言いました。

しかし南北は、とくに善行をしたわけではありません。

粗食を1年貫き通したことを話しました。

「なるほど。粗食によって陰徳を積んだのだ」

と観相家。


凶相がなくなった南北は、禅寺に行く必要もなくなり、

観相家の道を志すべく、諸国遍歴の旅に出ました。

21歳のことでした。


まず南北は髪床屋の弟子となり、3年もの間、人相を研究します。

続いて風呂屋の手伝いをし、またもや3年間、全身の相を探求。

さらに火葬場の作業員となって、ここでも3年間、死人の骨格を詳しく調べ、

人の運命との関連について研究を重ねます。


この修業時代に「相学の基本は仙術にあり」との思いから、

仙人を求めて深山幽谷に入ったりもしました。

そして25歳の時、奥州の金華山でようやく仙人を邂逅し、

100日間に及ぶ相法の奥義を伝授されます。


仙道の理想は、不老不死。

とくに食について厳格な規則があります。


そして相法の奥義は「病まず弱らない体のまま長寿を全うする」こと。

「運命(長寿)」と「食」とを関連づける両者の接点は大いにあります。


年を経て、南北50歳こと。

伊勢神宮へ赴き、五十鈴川で21日間の断食と水ごり行をしたとき。

豊受大神の祀られている外宮で啓示を受けたのです。


それが「人の運は食にあり」との名言でした。


豊受大神は、五穀をはじめとする一切の食物の神。

天照大神の食事を司っているのです。


ひどい凶相で、短命の相の持ち主だった南北。

とても長生きしたり成功する相などは持ち合わせていません。

しかし彼は、食を慎んだことで運が開け、

健康のまま78歳まで生き、大きな財と名誉を成したのです。


taka

参加者全員が命無星曜という怪奇


「わたし命宮に星がないんです。何か問題ですか?」

こんな質問をよく投げかけられます。

専門用語で『命無星曜格』といいます。


7人にひとりの確率で存在すると言われていますが、

なぜか、ぼくの生徒には多いんですよ。

きのうの中級レッスンでは、なんと4名全員が「命無星曜格」。


命宮に主星がない人は、

良い意味でも悪い意味でも「我」が少ない傾向にあります。


自分を出さない人も多いし、

また、流されやすい人、染まりやすい人もいます。

ただし、吸収力は抜群です。


命無星曜のひとは、対宮である「遷移宮」の星がつよく働きます。

だから他人との接触が多く、

そのため初対面での力量が問われたりもします。



そのなかのひとりの男性が、

遷移宮に化忌がいます。

彼いわく、

「不思議なんですけど、ぼくの友人の面盤を作ると、

なぜかみんな命宮に化忌を持ってるんです」

のこと。


そうなんです。

そういうことがよくあります。

とくに、夫妻宮に主星がない人は、

命無星曜の異性と結婚するケースが少なくありません。


そういえば、

ぼくの「奴僕宮(ぬぼく-きゅう)」に主星がありません。

奴僕宮は「部下」「弟子」「ファン」をみます。

だから、ぼくの生徒さんには命無星曜格が多いんですよね。


ちなみに奴僕宮の対宮は兄弟宮ですが、

そこには「天機」「天梁」がいます。


「天機」は繊細な人、策略家、深謀遠慮な人という意味を持った星。

「天梁」は頼もしい親分肌、まじめな信仰者という意味を持った星。


たしかに、ぼく自身が超とてつもなく自由でいい加減でテキトーなので、

周囲にはそんな感じの人で守られている様子です。


もともと友人であったひとが弟子入りしたり、

かつて弟子だった人が友人になったりと、

そういう現象が起きやすいのは、このせいなんですね。


taka

 

 

運命を開く5つの法則


運命を開く……人はこれを『開運』と呼びます。

世間は、まさに「開運ブーム」。

何でもそうですが「ブーム」になっちゃうと、あまり効果がないんですよね。

密かに人知れず行うから、運も静かに開けていくのです。



中国の格言に、こんな言葉があります。


    真剣に学び、人知れず善行を積み、よき風水の地を得よ。

    さすれば運勢が向上し、やがて「命」も改善する。



どんな身分の人でも、才能があろうがなかろうが、

この理論に漏れることはありません。


第1に「命」、第2に「運」、第3に「風水」、第4に「陰徳」

そして最後が「読書」。


これが開運の5段階だというわけです。


これを五行にふりわけると……

命  = 木

運  = 火

風水 = 土

陰徳 = 金

読書 = 水


となるわけです。



第1の「命」 とは ーー


もって生まれた運命のことを『宿命』と言います。

その人の先天運のことです。

先天運とは、先天的な傾向性のことで、

これが人生のもっとも大きな影響力を及ぼすとされています。

これは四柱推命か紫微斗数で割り出すことができます。

では、なんのために先天運を知るのかというと、

適正を知ることによって「長所を伸ばし短所を克服する」。

それを「知命と立命」といいます。



第2の「運」とは ーー

     
後天運のことで「大運」とも呼んでいます。

たとえ持って生まれた「命」が良くても、

運の巡りに恵まれなければ、苦しい日々を送ることになります。

逆に「命」が悪くても、

運の巡りに恵まれれば、潤いのある生活を送れます。

だから「運」の到来がいつかを知ること。

そしてその時期を待って、訪れたら逃さないこと。

これが重要なのです。



第3の「風水」とは ーー

     
これは、ずばり環境のことです。

どのような場所、どのような家に「誰と」住むか。

これが大事なんですね。

おもに「地相」と「家相」を指しますが、

じつはそれだけでなく、

「どれだけ部屋が片付いているか」も重要なポイントです。

風水が整った地に住むことができる人は、うまれもった福徳によります。

その反面、「福徳の薄い人」は、自然に任せるのではなく、

自分の意志と判断で選ぶことが可能なのです。

よき風水を得たいのなら、まず部屋中のいらないものを捨て、

お風呂、トイレなどの水回りを清潔にし、

そして玄関や廊下などを掃除することです。

そして洗濯された清潔な衣類を身にまとうことが大事です。



第4の「陰徳」とは ーー

     
これは簡単ですね。

善行を積むことによって、思いがけない福運を招き寄せる、というものです。

道徳とか倫理の範疇かもしれませんが、よく宗教の世界で語られる価値観です。

「自分さえ良ければ」という生き方でなく、

周りに気を配り、弱者を救済したり援助するという「奉仕の精神」を指します。

ただ、「徳を積む」といっても2種類あって、

人の眼にさらされ賞賛されるものが「陽徳」で、

誰も知らないところでする善行を「陰徳」といいます。

この場合は後者ですね。

前者の徳は、残念ですが「運命を開く」までの力はありません。



第5の「読書」とは ーー

    
あたりまえですが「本を読む」ことです。

人は「言葉」によって思いや考えを巡らします。

文章を読むことの積み重ねは、語彙を豊富にし、思考力を培います。

読書は、自分との対話を促します。自分探しの旅でもあります。

自己の内面を刺激します。

本をたくさん読むという行為自体が重要なのです。

自身で調べ物をしたり、想像力を深めることで、

正しい理解と判断ができるようになります。

また読書を通して、精神的な刺激を得ます。

するとかならず知性と教養が育ちます。

とくに現代は「調べる能力」の低下は著しく、

それが開運の妨げになることは少なくありません。



以上が「開運の5つの法則」です。


この5つの条件が整っていたら、

あとは成り行き任せにすればよいです。


そうなれば、世間の流行に影響されることも、

世間の眼に気をとられることもなくなり、

劣等感や嫉妬心が減ります。


テレビやコミック、ゲームなどから流れてくる

悪質な情報に興味がなくなり、

悪い友だちや異性とも縁が薄れてゆき、

心も体も解放され、自由になります。

とても自然な成り行きでしあわせになっていくんです。


ただし。

いきなり、これらを実践するには、

やはりある程度のバイタリティとモチベーションが必要となります。

そのために、他力的な開運法を教えているわけです。


taka

 

 

祓いと穢れ



日本の神道には「祓い清める」という言葉がありますが、

その「はらう」と、お金を払うの「はらう」は同じ言葉ですね。


では、神道で言う祓うものとは何か。

それは「穢れ」です。


お祓いすることで清浄を取り戻す、という考え方です。

「穢れ」とはなにかというと「均衡していない状態」のことを指します。

人生長く生きていると、かならずお金の貸し借りを体験します。


この、お金の貸し借りの概念は「ハレ」と「ケ」に通じているのです。


ハレ(晴れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」を。

ケ(褻)はふだんの生活である「日常」を表しています。

また、ケ(褻)の生活が順調でない状況を、ケガレ(気枯れ)といいます。


つまり「借り」は「穢れ」なんです。

たとえば品物を受け取って何もしなければ「借り」となり、

穢れを受けるわけです。

そして、そのうち災いが生じることになる。

なんらかの形で借りを返すことになります。


そこで必要なのが「祓い清め」なのです。

ですから、お金で祓うわけです。

身が潔白になれば、均衡を取り戻しますから、清らかになります。


お金で払うことで、貸し借りナシとなり、お互い対等(イーブン)となります。

それが「清く正しい」状態なのです。


ちなみに「おふだ」と「おさつ」は同じ『お札』という漢字で示されます。


神道は清浄を重んじますから、邪気を嫌うんです。


穢れを落とすことを禊(みそぎ)といいますよね。

それは「悪いものは切り棄てよう」とする姿勢なのです。

汚職をした政治家が、次の選挙のときに「禊をした」と使いますが、

あの表現は間違いです。


本来は、その人自身を切り捨ててしまうのが禊の真意だからです。


神社には、邪気から守るための、さまざまな装置があります。

まず古くからの都市計画として「風水」を利用していますね。

平城京とか平安京が代表格です。

その最たるものが江戸城、つまり皇居は、

とくに邪気から守る配置がほどこされています。


邪気から守るための装置として神社を建立したりしていました。


神聖なもの、力のあるものは邪気から守らねばならないのです。

「神さまだから平気」ということはありません。

なにしろ神よりも悪魔のほうが強いですからね。

悪魔の強さは単独で発揮します。

しかし、神の強さは結束力にあります。


開運のためにはまず邪気を避けることが大事です。

そこに良いものがあっても、邪気をうけてしまったら逆効果なのです。

せっかく街に正義の味方が住んでいても、病気に冒されていたら役に立ちません。

なので神社では結界を張ります。


ちなみに、しめ縄は結界の位置を示すものであって、結界そのものではありません。

とくに現代では、しめ縄は装飾的な意味合いが強くなってしまい、

そのほとんどが結界の意味をなさないものが多いです。


さて。

結界があっても神社には参拝者が多いですよね。

参拝者の多くは、自分勝手な欲望を抱いて訪れてきます。

その邪念(レベルの低い想念)によって邪気が持ち込まれてしまいます。

なので本殿と参拝の社との間に距離がもうけられているのです。

人間の勝手な願望、つまり利己的な願いは、悪魔にとって好都合です。

「ギャンブルで儲けたい」

「宝くじに当たりたい」

「あの人の心を虜にしたい」

「人気者になりたい」

「とにかく結婚したい」

という身勝手な願いは、ほとんど神さまに届くことなく、

結界のまえで凝固します。


その固まった想念を、ある種族の霊魂がリストアップするのです。

もしかりに、その人間に利用価値があると思ったら、

その願いを叶えてしまいます。

そして、かならず見返りを求められます。

それが俗にいう「祟り」です。


だから神仏の前で願い事を言うときは、

細心の注意が必要なのです。


ただし「けっして願望を持つな」と言うわけではありません。

願望はふだん大いに持ってくださいね。

人間は願望がなければ夢は叶いませんから。

神聖な場所へ行くときだけ、それをコントロールすればよいのです。


taka

「大いなる歓び」を得るための運命学



 紫微斗数にしろ四柱推命にしろ、

「一生懸命に勉強すれば、自分の使命を発見できるのか」

というと、そういうわけではありません。


まず、本に書いてある理屈をひととおり勉強しますよね。

そしたら、つぎにそれを実践へと移さねばなりません。


勉強したつもりになって、それで満足している人をよく見ます。

「何のために勉強するのか」というテーマをしっかりと把握していない人です。


運命学にかぎらずとも、テーマを持って勉強するほうが上達は早いものです。


いや、上達するだけではありません。

占いの勉強は、長い歳月を必要とします。

途中で挫折せずに、ながく研究する癖を付けるにはどうしたらよいか。

それは「勉強する」たびに、あたらしい発見を楽しむことなのです。


占いを勉強してるけれど、実際には「占いに支配されている」ひとも少なくありません。


あなたのまわりにも、

人生がうまくいかない理由を運命のせいにしているひとはいませんか?


ぼくは、その運命学を研究する場合、かならず、

「これをどうやって使いこなせば、開運につながるのだろう」

という狙いでつきあっています。


つまり「占いを研究すると何を得るのか」というテーマを作ることなのです。


最終テーマは、

「どんな難問が降り注いでも、たちどころに解決する」

という『知恵』を培うことです。


哲学用語で、それを『叡智(えいち)』と呼びます。


叡智とは、深く物事の道理に通じる才知のこと。

物事の真実を的確に把握する力……

理性的であり、また悟性的でもある認識なのです。


叡智を身に付けると、

どんな苦しみからも自力で抜け出すことができます。


人間は老います。

老いると「美」を失います。

そして病気にも悩まされます。

いつか、かならず死にます。


この絶対に避けられない現実に眼をそらさず、

つねに解決法を探すさきに、叡智が生まれていくのです。


そういう観点で研究すると、いつも「新しい発見」に出会い、

わくわくします。


勉強のテーマ(森)からみれば、

運命学など1本の木にすぎません。



何人かの命盤をつくってみると、

自分が持っている星のひとに出会う場面が多いものです。

しばらくすると、あまり同じ星をもった人と出会わずに、

詳しくない星ばかりと出会うようになります。


なんらかの偉大な力が、意図的にそうしていると考えられます。


たとえば、ぼくの場合ですが、

はじめて紫微斗数に出会ったとき、

母親の記憶で16時に生まれたことになっていたので、

その時間で命盤を作盤しました。


自分の命宮は「太陽+太陰」だと思いました。

すると、ぼくのまわりの人たちが、

天機、天梁、天同、巨門ばかり集中したのです。


つまり同じ系統の星たちですよね。

そういう人との縁が強くて、よくつるんだりしました。


もちろん、ぼくは自分の持っている星に意識しますから、

その星をひいきに徹底研究してしまいます。


しかし、実際にそのあと母子手帳が見つかり、

そこには「19時」と記されていたのです。


命盤を作り直してみたところ、

なんと「紫微+七殺」だと判明したのです。

まったく違うではありませんか。

同じ星が、ひとつもかぶりません。


そこでぼくは、新しい気持ちになり、

いままで軽視していた星の勉強をはじめたのです。


するとどうでしょう。

かつて親しかった人たちと疎遠になり、

いままで薄かった人たちとの縁が深くなり始めたのです。

それが紫微、貪狼、武曲、廉貞、破軍……などのひとたちです。


人間って、みんな自分が大好きだから、

どうしても自分がもっている星を勉強しようとしますよね。


そこで『偉大なる存在』が、ぼくらを導いてくれるのです。


「自分がもっていない星の人と交流して、
その人がもっている星の作用を習得しなさい」


ということなのです。


どうぜん自分がもっていない星は、理解しにくいもの。

そういった「異星人」と交流して、その長所を盗むとよいのです。


そういう計画を「神」はしているのではなでしょうかね。


taka

 

「運命学」を学ぶ意義


「運命学」は、なんのために勉強するのでしょうか。

それはいわゆる、学生がするような試験のための勉強とは違いますね。

もちろん「資格を取る」ための勉強でもいけません。


ひとことでいうと『自分を知り尽くす』ための勉強です。


「自分には何ができるのか?」

「何をすべきなのか?」


つまり、自分の才能や使命、任務を発見するための勉強なのです。


「なぜ、今のこの時代に、日本に生まれたのか?」


運命学とは、その意味を発見するための手段です。


自分の才能を知り「使命」を発見した人は、少なからず幸福な人生を送ることになります。

他人がなんと言おうと、自分が納得した人生を選んだ人は、

まちがいなく運命学を極めた人です。


これまでの歴史を振り返ると、

運命学を勉強したひとは、

歴史上の成功者、大学の研究者、会社の経営者、心理学者などが多いです。


しかし、どんなに運命学の難解な原典を読破し、

それをひとに講義することができたとしても、

人生の目標を明確に設定できていなければ、それは意味のない知識です。


自分の使命や任務を知らない人は、

これまで勉強した時間とコストが無駄になっている場合がよくあります。


本をたくさん読んで理論を学んだのに、自分の任務を発見できないひとも少なくありません。

それは、運命学をマスターしたあと、それを実生活に活かしていないからです。


かりに、あなたがサラリーマンであったとしましょう。

「会社を退職して、独立するか」

「あるいは組織のなかで出世を目指すか」

その答えを明確にするんだ、という目的で勉強していれば、

いずれ自分の任務を発見することでしょう。


恋愛で悩んでいる人がいたとします。

「結婚なんて所詮こんなもの」

と、あきらめながら結婚への道を進むのでしょうか。

それとも、

「わたしは独身を通してでも、自分の信念を貫き通したい」

というスタンスで恋愛するのか。

まず、その答えを明確にしたい、という目的をもって勉強すれば、

いずれかならず、自分の使命を発見できるはずです。


運命学の勉強とは、ずばり、自分が生きていく道や世界観を明らかにするため。

そして勉強していくうちに、どんな岐路に立たされても、

わりと瞬時に、どちらの道を選ぶのかを容易に決定できるまでに成長します。


もしあなたが漫然と、占い本に書いてある理論を覚えているのであれば、

それはとても実践的に使えるとは思えません。


分類化されたパターンを大量に覚えるのは、代表的な悪い勉強法だといえます。

運命学の学習で陥りやすい罠が、この『パターン分類化』という思考です。

ロジックや論理的な思考を好む人が、この罠にはまりやすいですね。

多くのパターンを学習すれば、運命学を習得できる・・・と勘違いする人が多いのです。


しかしそれは、運命学のごく初期の段階では有効です。

東洋占術であれば、まず十干と十二支の勉強をする。

四柱推命なら、さらに十二運と通変星を。

紫微斗数なら30数個の主要な星と、12宮の意味を勉強することです。


こういった星の性質を身に付けるためには、

自分の友人や知人をサンプルにすると効果的でしょう。

しかし、ここで陥りやすいのは、

サンプルの「量」が少ない、と嘆く傾向です。


じつは、サンプルの数よりも大事なものがあります。

それが「質」を高めることです。


1人の人間の命式や命盤をじっくり観察して、

星の作用が、いつ、どういうときに、どんな状況であらわれるのか。

それを詳細に観察することが「質」を高める勉強です。


人生は「出会い」がすべて。

その出会いを、どのように育てていくか、これが鍵です。

幸福をつかむための鍵なのです。


「出会い」とは、過去のパターン学習には含まれない可能性が高いのです。

意味のある出会いは、すべて「未知との遭遇」なのです。

その遭遇を前提に、運命学の勉強をするのです。

実際にこれから出会うであろう「未知の人」との正しい対応のために。


taka

命宮の十二支で分かる性格と行動



紫微斗数で鑑定してみると、
命宮が何星?というのは、誰もが覚えています。

しかし、「命宮がどの位置?」と聞かれると答えられないようです。

今日は、ぜひ「自分の命宮の所在地」を調べてみましょう。
そこから導きだされる「宮の象意」を知ることによって
あなたの長所や改善するポイントを見つけることができますよ。



子の命宮

柔和だが、些細なことにカチンとくる。
でも、根は明るく、怒るとケロッと忘れるので憎まれない。
明るく楽観的で直観力にすぐれている。
情に左右されやすく、物事が長続きしないのが欠点。
器用さと勘の鋭さ、フットワークの良さを発揮すれば、過酷な環境でも生き抜ける。
生き方アドバイス:人生は金儲けだけじゃない。そろばん勘定の行動を慎もう。


丑の命宮

スローペースでゆっくり着実に進んでいく努力家タイプ。
のんびり屋で行動に起こすまでは時間がかかるが最後までやり貫くスタミナの持ち主。
十二支で、もっとも頑固。おとなしい反面、猛牛のような激しい一面が。
マイペースなので人との和を保つのが苦手。
本能的な生命力を持ち、困難にも立ち向かうパワーを活かすと吉。
生き方アドバイス:時には自ら折れ曲がって遠回り、回り道の姿勢が秘訣。


寅の命宮

独立心旺盛で、素早い行動が特徴の頼もしいリーダータイプ。
反面、用心深く、楽天的。冷静な判断力と信念を持つ。
常に明るい未来を信じて行動し、自ら運を切り開く。
負けず嫌いで、喧嘩っ早いのが玉に傷、相手かまわず争って幸運を逃すことも。
自分の力が発揮できるまで、チャンスをじっと待つと吉。
生き方アドバイス:押すだけでなく引いて。黙ってみている寛容さを身につけよう。


卯の命宮

温和で愛嬌があり、巧みな話術で敵を作らず、人を味方へ引きずり込むのは見事。
特に、目上の人からかわいがられる。
人当たりが良く、誰とでもうまくやっていける。
インスピレーションが冴え、行動力もありますが、決断力に欠ける傾向もある。
きまぐれで移り気なところを隠し、トラルブに素早く読んで行動すれば吉。
生き方アドバイス:いつも身の回りを整理整頓。頭もきちんと整理すればアイデアが浮かぶ。


辰の命宮

自己主張が強いリーダー的タイプ。負けず嫌いで、そのためなら努力を惜しまない。
スケールの大きな夢想家で、何をしでかすかわからない魅力がある。
ただ、自信過剰で、いったんつまずくとあっさり手を引く淡白な面も。
強靭な生命力と持久力の持ち主。プライドが高く、勝ち気な性格。
目標をさだめれば、人並み以上に情熱と行動力を発揮し、昇り竜のごとく突っ走る。
生き方アドバイス:ときには正義感を捨てて、対人関係を穏便に。


巳の命宮

温和で、思慮分別のある大人びたタイプ。
注意力・思考力に優れ、臨機応変に対応出来る。理解力があり、辛抱強い性格。
責任感が強く、人にまかせきれない性分。黙々と人の何倍も働く縁の下の力持ち的存在。
早口でしゃべる。強引な性格。
お金に恵まれる人が多く、ビジネスで努力すれば成功する。
生き方アドバイス:感情的にならず、客観的に冷静に物事を見る癖をつけよう。


午の命宮

度量は広く、世話好きでもあり、体力も申し分なし。
カラッと陽気で、淡々としたタイプ。負けん気が強い。
ただ、短距離選手的であり、物事が持続しないのが欠点。
開放的で束縛を嫌います。芸術家向きで、独創的な発想の持ち主です。
積極性を活かして、どんどん突き進んでゆけば吉。
生き方アドバイス:若い頃から質素倹約を重んじ、控えめな生活で満足する。


未の命宮

正直で温和。品の良さがあり、慈悲に富んだ同情心の厚い人。
誰に対しても気配りをかかさず円満な人間関係を保つ交際上手。
おとなしい外見とは裏腹に芯の強さや執着心もなかなか。
小心者で取り越し苦労が多い。おとなしそうに見えるが、芯が強くて頑固。
周囲の状況を見ながら、きちんと計画を立てて行動すれば吉。
生き方アドバイス:臆病にならず、思い切り良く行動する勇気を養う。


申の命宮

目立ちたがりや。頭も切れるが、フットワークやトークのキレも抜群。
十二支中、一番忙しい人。自然に人を引き寄せる人気者。
明朗活発でおしゃべり好き。
おだてにめっぽう弱いので、調子に乗っていると申(猿)も木から落ちる。
何事も器用にこなすが、そそっかしさから、失敗することも。
生き方アドバイス:他人の評価を気にせず、人の真似ごとを止めて自信を持とう。


酉の命宮

先見の明があり、機転がきくタイプ。
計画的に効率よく行動し、無駄が無いスマートさが売り。
頭の回転が早く、何をやらせても器用にこなす世渡り上手。
面倒見がよく世話好き。好奇心旺盛で活動的。
せっかちで移り気なので、先読みしすぎていろいろ手を出し自滅しないように。
生き方アドバイス:地道に汗を流して努力する。


戌の命宮

誠実で、義理人情に厚い人。信頼関係を重んじ、人との絆を大事にする。
辛抱強く、凝り性。何事にも熱心でじっくり取り組む。
ずるいことや嘘を嫌う誠実な性格です。
こうと決めるとテコでも動かない頑固な性格が玉に傷。
脇役に徹した方が実力を発揮する。
生き方アドバイス:素直な心になって、人の言葉に「なるほど」と相槌を打つ。


亥の命宮

向上心が高く、率直で清い。おおらかな性格。
責任感が強く、どんな時もリーダーシップを失わない。
視野が狭く、暴走する可能性がある。
思い立ったら意地でもやり通す。おおざっぱな性格が失敗につながることも。
心身ともにタフなので、波にのると、猪突猛進のごとく突き進む。
生き方アドバイス:自分勝手に善悪を決めつけない。


以上です。
単純なので、これだけを占いに使うことはできませんが、
鑑定の際のエッセンスとして確認してみてくださいね。

また、紫微斗数の十二支宮は、九星気学の定位盤とも対応していますので、
そちらの知識がある方は、ラッキカラーやラキーアイテムなどの調べものに応用できますよ。


taka

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