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2011年11月

占いは信じるものではない。使うものです。



占いは、ハサミや包丁と同じ「道具」です。







ハサミや包丁にも、いろいろな種類がありまして、



それぞれに役割が異なります。







もちろん万能バサミというものもあるでしょう。







しかし、万能な道具よりも、



それに特化した道具を使うほうが



便利な時だってあるはず。











占いも、この概念と同じです。











「占いは当たるのですか」



という質問は、



「ハサミは切れますか」



というのに似ています。











ただしハサミは目に見えますが、



占いは目に見えない。







心で感じるのみです。







この「心」というのが、やっかいなんですね。







人間は「心」で動いているにもかかわらず、



その原動力であるはずの「心」は目に見えないし、



科学的にも証明できていない。







だから人間は、つい占いを



「信じる」か「信じない」か、



という物差しで測ってしまうのです。







そもそも、その質問自体が無意味なのを分かっていない。







あなたは人間に「心」があるのを、信じていますか?







なんだか「神を信じますか?」みたいで滑稽ですが、



神もまた、信じる対象ではないと思います。







「神社に行ったら願いが叶った」



「お寺でお払いしたらすっきりした」







というのは、人間の心が動かす、



さまざまな “ 生体現象 ” なのかもしれませんね。







ココロの動きにによって、カラダも変化します。



これを『心体一致の法則』と言います。











恋愛成就は○○神社へ



水子供養は○○寺へ



自分の罪を懺悔したいときは○○教会へ







と言われたほうが、



なんとなく「効きそう」でしょ。







とくに日本人は、万能よりも専門を好む傾向にあります。







だから、風邪薬なんかも、



あんなにたくさん市販されているのです。







クスリにはリスク(副作用)がありますが、



占いや宗教だって副作用はあります。







それが「妄信」という、とてもやっかいな弊害です。







妄信している人があまりにも多く、



その愚かな様を見て、



「占いを信じてる奴なんて、程度が低い」



と思いたい気持ちも理解できます。







しかし、



あなたが平凡な人生で一生終わると決めたのなら、



その姿勢は問題ないと思います。







けれど、いつかは一旗揚げたい。



自分自身が納得できるような人生を送りたい。







そう思っているのなら、



できるだけ早く、正式な運命学の門を叩いてください。







運命学と唱っていても、



普及するためにチープになっているものが多いです。







つまり世間に広く普及している占術は、



廉価版なのだと思って差し支えありません。







ラーメンでもカップ麺にして売っているでしょ。



あれと似ています。







そして占い師も人間です。



道具を使う職人でもあります。







だから得意分野と不得意分野があるのです。



もちろん、ぼくにも不得意分野はありますよ。







たとえば、ぼくの場合、



ただ漫然と生きている人の鑑定は、ものすごく不得意です。



それと、頑固すぎる人。



自分の生き方にこだわりのない人。



こういったタイプの人を鑑定したあとは、



心身ともにぐったりしてしまうんです。







でも逆に、そういうクライアントを得意とする占い師もいます。



だから、自分に合った占い師を探すことです。







そして「この人こそ、私の運命的な占い師だ」と思ったら、



もう迷うことなく、その占い師に身を委ねるべきです。



その際、絶対に「浮気」をしないこと。







占いとて人間。



浮気されるのは誰しも嫌います。







浮気する人は、浮気されますよ。



それが因果応報です。











あっちへフラフラ。こっちへフラフラ。



そういう姿勢では、誰も親身になって相談に乗ってくれません。







「占い好き」もいいけれど、何事も程度があります。







まずは自分自身で占いを勉強してみること。







そして、これは習うしかない!



と思ったら、師匠について勉強しましょう。



もちろん自分に合った師匠を選ぶことが大事です。







 taka

 

 

「格」と「使命」そして「役割」





人は誰しも「しあわせになりたい」と願うもの。



不幸がいい、という人はまずいないでしょう。







でも、



「どうせあたしゃ、不幸という名の星の元に生まれたんだよ」



と思っている人はけっこう多いのです。







はたしてそうでしょうか?







いいえ。



人は誰でも、しあわせになれるのです。



それには、まず、不幸要素をみずから取り除くこと。







不幸……と一言でいっても、



その概念には個人差があります。







とても感覚的なものだからです。







結婚もして、お金もあって、友人もいて、



でも、子どもが出来ない……どうして私ばっかり。



と思っている人も不幸です。







一流大学を出て、キャリアがあって、



友人から尊敬されて、



でも彼氏ができない。結婚できない……あぁ悲しい。



と思っている人も不幸です。







芸術家の家系に生まれて、



子供の頃から神童と呼ばれて、



でも、なかなか芽が出ない……なんでだろう?



と思っている人も不幸です。











このように不幸というのは、



じつに個人的な感覚なのです。











その原因をひとつひとつ理解して納得してゆけば、



いつか必ず、しあわせになるのです。







しあわせは、待っていてもやってこない。



かといって、こちらから求めても手に入ることはない。







しあわせのチャンスは、数年に一度やってきます。







それを逃さないためにも、



日頃から研鑽を重ね、強く意識し、



来たるべき日に備えて受け皿を磨いておくのです。







それには、まず自分の受け皿を知ること。







受け皿が、すなわち「格」になります。







人間には生まれ持った「格」というものがあるんですよ。







残酷な言い方をすれば、



上格・中格・下格.....そして最下格。







自分がどの格なのかを、勇気を持って知るべきです。







残念ながらこれは、



占い師に聞いても教えてくれません。







自分で調べるしかないのです。







まず「格」を知ること。







それを知ったら、次に「使命」を知ることです。



人間には誰にでも使命があります。







ただし使命にも大中小があって、



それは「格」に影響されます。







大きいのか小さいのか、ひとによって千差万別です。







使命の大きさを知る。



使命の内容を知ることです。







使命に添っていない仕事は、



やっても張り合いがないし、



結果も出にくいし、



長く続きません。







使命じゃない仕事を「修行」と呼ぶのです。







あなたはいつまで修行するつもりですか?



ということです。







さて。



使命が分かったら、最後に「役割」を知ること。



この役割というものが、とても大事です。







しかし役割は、格と使命によって形成されているので、



格と使命が分かっていない場合、



明確な役割を担うことはできません。











役割がはっきりとわかれば、



自分がなんのために生まれたのかが分かるから、



迷ったりブレたりすることがないのです。







そのためにも運命学の習得は欠かせません。







運命学をきちんとマスターすれば、



霊能者や宗教なんて必要なくなります。







あきらめないで、



自分の可能性と最前の方法を知ることです。







そのために先人は、



四柱推命や紫微斗数を作って残してくれたのです。

 

 taka

 

 

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