手は精神の出口
日本刺繍って知ってますか?
とても高度な技で、
当時は仏教の表現のために編み出された文化です。
日本刺繍の第一人者である
「紅会(くれないかい)」の創始者
斎藤磬(いわお)さんの
『手は精神の出口である』という言葉があります。
ぼくの、大好きな言葉で、
もっとも重要な人生訓だといまでも信じています。
以下、原文のママ紹介します。
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精神は、手から出る時は労働と呼ばれて、
空間に向けて、さまざまに、形あるものを作ってゆきます。
手こそは精神の出口です。
この手の働きは、人の心の中のあこがれを具現するものであって、
そして、手のいとなみにより人は形成されてゆきます。
手は、これまでになかった事態をこの世に作り上げてゆきますが、
これはとても人間らしいしごとで、「創造」とよばれます。
つまり、人間の手は、その人の心を空間に刻み込んでゆくことになるのです。
人間は、手によって作られたもので、おのれ自身の精神の程度を知ります。
つまり、精神は手から出て作品となり、評価としてふたたび自分に戻るからです。
とどのつまり、手は、自分がどういうもの、どの程度のものかを、
晴れがましくも、時にはなさけなくも、自分に教えてくれるのです。
斎藤 磬(1982年)
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これは刺繍をするときだけでなく、
文章をしたためるとき
絵を描くとき
楽器を弾くとき
料理を作るとき
料理を食べるとき
お酒を飲むとき
部屋を片付けるとき
タロットを展開するとき
異性を愛撫するとき
……
すべての手の動きの教訓となっています。
手の動きが美しい人は、
精神も美しい。
手の動きが醜いひとは、
精神も醜い。
だから手を、指先を磨くことです。
より美しく。
よりしなやかに。
生涯を掛ける仕事にたずさわり、
地道に研鑽に励んだ人の手は、
とても清廉なのです。