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2010年11月

手は精神の出口



日本刺繍って知ってますか?





とても高度な技で、



当時は仏教の表現のために編み出された文化です。





日本刺繍の第一人者である



「紅会(くれないかい)」の創始者



斎藤磬(いわお)さんの



『手は精神の出口である』という言葉があります。







ぼくの、大好きな言葉で、



もっとも重要な人生訓だといまでも信じています。







以下、原文のママ紹介します。





* * * *





精神は、手から出る時は労働と呼ばれて、



空間に向けて、さまざまに、形あるものを作ってゆきます。



手こそは精神の出口です。





この手の働きは、人の心の中のあこがれを具現するものであって、



そして、手のいとなみにより人は形成されてゆきます。





手は、これまでになかった事態をこの世に作り上げてゆきますが、



これはとても人間らしいしごとで、「創造」とよばれます。



つまり、人間の手は、その人の心を空間に刻み込んでゆくことになるのです。





人間は、手によって作られたもので、おのれ自身の精神の程度を知ります。



つまり、精神は手から出て作品となり、評価としてふたたび自分に戻るからです。





とどのつまり、手は、自分がどういうもの、どの程度のものかを、



晴れがましくも、時にはなさけなくも、自分に教えてくれるのです。





斎藤 磬(1982年)







* * * *







これは刺繍をするときだけでなく、



文章をしたためるとき



絵を描くとき



楽器を弾くとき



料理を作るとき



料理を食べるとき



お酒を飲むとき



部屋を片付けるとき



タロットを展開するとき



異性を愛撫するとき



……



すべての手の動きの教訓となっています。







手の動きが美しい人は、



精神も美しい。







手の動きが醜いひとは、



精神も醜い。







だから手を、指先を磨くことです。



より美しく。



よりしなやかに。







生涯を掛ける仕事にたずさわり、



地道に研鑽に励んだ人の手は、



とても清廉なのです。


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