サイキック手相、おそるべし!
嗚咽を上げてなくなんて、
もう二度とないと思っていた。
こんなに声を荒げて、
しかも、流れ出る涙が止まらない。
そんな体験、もう何年もしてなかった。
子どもたちと、二度と合えないと分かったとき?
父親が突然死んだとき?
そうだ。
思い出した。
頼りにしていた占いの先生が、突然死んだときもそうだった。
たしかに、あのとき、
ぼくは泣いた。
そして今朝。
ぼくはもう、とうに枯れてたと決めつけていた
その「涙」という奴に再会した。
とてもつらい夢を見た。
まずは我が子の夢だった。
母親に手を引かれ、
「おとうさ〜ん」って泣いて叫んでいる。
ぼくは、我が子に会おうと必死で走るが追いつけない。
ぼくには別れた子どもが3人いるが、
そのうち誰だかはおおむね見当がついた。
気がつけば汽車の中。
電車じゃなくて汽車だった。
ひとこと言われた。
「お父さんに合えて良かった」って。
そしてしばらくして、
今度は父親の夢を見た。
父親は、あまりにも素っ気なかった。
ぼくの質問に、何ひとつまともに答えてくれなかった。
蔑まれている気がした。
無視されているような感じだった。
心の中に潜んでいる雷が、
ぼくの頭を支配した。
テレビを蹴飛ばし、
ちゃぶ台をひっくり返して、
その上にあったもの全部を、
父親にぶつけた。
ぶつけた終えたところで、夢は終わった。
ぶつけたものの中には、
ぼくが昨年、必死で勉強した
四柱推命のマル秘ノートの束があった。
生前、父は、ぼくを褒めなかった。
そして、叱りもしなかった。
興味がないんだと思って、あきらめていた。
テレビで霊能者の江原さんをみるといやな気分になる。
それは、父親を思い出すからだった。
歌がとびっきりうまくて、
美食家で、太っていた。
自分は天才だと、
だから何をやっても許されるんだと、
そう思っていた父の幻影に、
ぼくは苦しめられていたのだろうか?
いかにすぐれた霊能力があろうと、
いかに芸術的才能が高いからといえども、
人間としての情緒を忘れてしまったら、
そこに何の魅力があろうか、と。
だからぼくは、
心霊現象だとか、
オーラが見えるだとか、
前世がどうのこうのとか、
そいうもの全部が大嫌いだった。
子どものころに見せられた、
あの霊的現象の数々が、
ぼくのなかに、亜種のトラウマとして
刻印されてしまったのだろうか?
とにかく霊能者が嫌いだった。
しかし、この人ならあってもいいな、と思えるような
そんな人物とあった。
昨日。名古屋のほしよみ堂で、
ひとりの占い師を面接した。
占い師というか、
サイキックな手相を使う、
50代半ばの女性である。
ちょうど5日前、
その女性からメールを受け取った。
「手のひらを見ていると、色んなことがわかるんです」
その前後の文脈から、
その人物が常識的で、
ごくまともな人格者だとすぐに分かった。
タロットで占ってみると、
「星」をはじめとする吉カードが何枚か、
正位置で答えてくれた。
ぼくの霊能者嫌いは、なかなか便利で、
胡散臭い人物をすべてはねのけてくれる
魔除けとしておおいに役立つ。
しかし、ぼくは人生で初めて、
「このひとは本物の霊能者かもしれない」
という思いになった。
それは自然な感情だった。
午前中は、毎月定例の「まつりごと」をして、
そのあと90分ほど四柱推命の講義をした。
午後は「ほしよみ堂」へ移動して、
立て続けに2人鑑定した。
そして休憩する間もなく、
その霊能占い師を面接する時間となった。
電話で聴いた声のとおり、
純朴そうで、それでいて場の空気を察する品の良さを兼ね備えていた。
ぼくは安心したと同時に、
期待に胸を膨らませた。
「あぁ、こんな気持ちで、お客さんたちはやってくるんだ」
と、冷静に判断できた。
ひとおり、生い立ちやら活動方針などを伺い、
さて、では手を見てもらいましょう、となった。
じっとぼくの手を見る。
まずは右手だった。
右手からは家族のことがわかる。
そして左手からは仕事に関することがわかるのだそうだ。
「すごく大きな器を持っていらっしゃる。
けれど……ひとつだけ足らないものがあります」
ぼくは無言で、聞く側に徹した。
「お父さまの力が足りない。もっとお父さんから力を借りてください。
そうすれば、いまよりずっと楽に、さらに発展します」
もの静かに淡々とした口調であったが、
その意味は重かった。
父親のことは、意図的に忘れようとしていた。
しかし、そのたびに夢に出てきてぼくの仕事の邪魔をする。
父の存在は、ぼくの出世の足かせとなっていた。
それをズバリと指摘された、そんな気がしたのだ。
そのあと、すぐに子どもの話になった。
「お子さんたちが、とても会いたがっていますよ」
もう、かれこれ12年ほどあっていない。
長男は中学2年かな?
長女は小学6年だろうか?
ふと考えることもあるが、
いつもすぐに忘れようとしてしまう。
「会えますかね?」
「えぇ、会えますとも。いや、会うべきです。
あって、お父さんはこんなに立派な仕事をしてるんだと
教えて上げてください。
それを知りたがっています」
「連絡先が分からないんだけれど、どうやったら会えますか?」
「会いたい、と強く思えば会えます」
「それは執着になりませんか?」
「執着にはなりません。その思いは愛情です」
なるほど。と、感心した。
「でも子どもたちの母親は、ぼくを恨んでいるはずです。
だから、そっとしてあげておきたい、と思っているんですよね」
「んん〜、いや。前はね、たしかに恨んでいましたけれども、
いまは恨みの気持ちはないです。
なんて自分勝手な人だと、そう思っているだけです」
すごい。まさに心当たりがある、とはこれのことだ。
ぼくは彼女を捨てた。
と同時に家族を捨てた。
最後に吐き捨てられた言葉が、
「なんて自分勝手な人なの!」
だった。
「それにね、その女性は好きな相手がいらっしゃいますよ。
幸せに暮らしているようです」
たしかに当たっている。
風の噂で、再婚することを耳にしていたからだ。
最後に左手を差し出し、仕事のことを尋ねてみた。
「ういたかひょうたん、みたいです」
と笑っていった。
「なんですか? その、浮いたかひょうたんって」
一同、爆笑となった。
ういたかひょうたん、とは、
東海地方の方言で
「のんきもの」「道楽者」という意味だそうだ。
まぁ、こんな仕事です。
毎日いろんな人が来ます。
人種も、年齢も性別も、いろんなひとが。
出身地も、育った環境も、悩み事も、
それはそれは多種多様です。
のんきに構えていないと、頭がおかしくなっちゃうでしょ。
でも、これ、すごくあたっている!
「あとね。電車のプラットホームで気をつけてください」
「落ちますかね?」
「そうですね、気をつけないと……
とにかく電車が来たら白線よりずっと下がってください」
よくわかる。ぼくは、プラットホームが怖いんです。
誰かに押されて落ちる妄想をするんです。
プラットホームから落ちて、ぼくの身代わりに
別の誰かが死ぬ夢を、昔からたまに見るんです。
いちいち腑に落ちた。
「心のなかに雷を持っています。
それがたまったら、大きな声で歌を唱ったりしてください」
「じゃぁ踊るってのもいいですか?」
「踊るのもけっこうです。とにかく、怒りを溜めないで。
俺はこんなにすごいんだ!!って、鏡の前で威張ってください」
面白いことをおっしゃる。
そうなんだよね。
いつも怒りを我慢していた。
もう何年も、善人の仮面をかぶっているからね。
ぼくのなかに潜む雷。
それをつねに漏電させないと。
やはり今年は唄って踊りますか。
ということで、
「即採用です」
と言ったら、眼を丸くしていた。
ぼくは悩んだり考えたりしません。
採用は、いつも即決です。
じつは、ぼくのまえに一葉先生も鑑定してもらっていたけど、
そのときは手相を見ながらお互い感涙にむせていた。
ぼくは男だから感傷的にはならないけれど、
それでも今朝の夢には驚かされました。
サイキック手相、おそるべし!
(原宿の占い師、中島多加仁) 個別ページ | コメント(1)