2010年6月/コラム

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2010年6月

鶏口と為るも牛後と為る無かれ

むし暑いですね。





夏の夜は寝苦しいですね。





それに加えて夜の蚊の存在は、



さらに深い眠りを妨げてくれます。







そろそろ蚊取り線香が必要です。





いまはベープなどが主流ですが、



ぼくが子どものころは、除虫菊を使った蚊取り線香でした。





蚊取り線香といえば渦巻き型ですね。



でも、かつてその形状は「粉末状」と「棒状」だったそうです。





その当時は、



粉末だと風がふいて飛び散ってしまう。



棒状のものだと倒れやすい。







ということで、蚊取り線香による火災もあったそうです。









「もっと安全な蚊取り線香が作れないか?」







と考えていたのが、



大日本除虫菊株式会社の創業者である上山英一郎さん。







あるとき、上山さんの奥さんが、



倉庫の中で「とぐろ」を巻いたヘビを発見します。







その蛇のとぐろから閃いて、蚊取り線香を渦巻きにしたそうです。







渦巻きにしたことで、粉末や棒状に比べて燃焼時間が長くなり、



皿に置いて使用するため倒れる心配がない。







風にふかれても大丈夫。



そして何よりコンパクト。







なんとすばらしい発明でしょう。









でもどうして、



金鳥(キンチョウ)のマークは、ニワトリなのでしょうか。





創業者の上山社長には、ある信念がありました。





それが、



「鶏口と為るも牛後と為る無かれ」



という言葉でした。





司馬遷によって編纂された中国史上初の歴史書に



「史記」というのがありますが、



そのなかの 「蘇秦伝」に出てくる言葉です。





中国戦国時代の遊説家であった蘇秦(そしん)は、



「韓」「魏」「趙」「燕」「楚」「斉」の王たちに同盟を結ばせました。





そして大国「秦」に対抗すべきであると説いたのです。





「それぞれ小国であっても一国の王としての権威を保つべきだ。



秦に屈服するな」






ということを伝えました。





それが、



「鶏口と為るも牛後と為る無かれ」



という言葉です。





秦に屈して牛の尻尾のように生きるのではなく、



小さくとも、鶏の頭(カシラ)になるべきである。





その重みのある言葉に、各国の王たちは気概をひとつにしたのです。







大きな集団の一員になってしまうより、



どんな小さな集団であっても、




そのトップになっているほうがいい。








この信条をもった英一郎さんは



「除虫界のトップになろう」



と考えて『鶏口と為る』の意味を込め、



ニワトリをモチーフにしたのです。





金鳥の「商標」が登録されたのは明治43年(1910年)。



ちょうど100年前なんですね。

 

 

名古屋の紫微斗数レッスン初回は7/3で、2回目は7/31です。

名古屋ほしよみ堂の紫微斗数レッスンの日程確認です。

 

毎月第1土曜日ということでしたが、

8月は1日が日曜日になりますので、

 その前日である7/31(土)が2講目となります。

 

お間違いのないよう、よろしくお願いします。

 

さて。

 

昨日今日と名古屋出張でした。

 

名古屋へ出向くときは、いつも新潟の比呂酒井さんと一緒なんです。

 

今日も一宮から名古屋まで車で送ってもらいました。

 

しかし……眠いですね。

 

昨夜は比呂さんと遅くまで飲んだくれていました。

 

夜は寝苦しく、しかも大量の蚊による睡眠妨害にあい、

 ふたりとも寝不足でした。

 

今日は朝10時からイベントがあって、

午後は連続で4名鑑定。

 

名古屋の二日目は、いつもこんな感じの過密スケジュールです。

 

夜、ふらっと入ったラーメン屋がおいしかったです。

 

38年やっている老舗でした。

 

おいしいだけじゃなく、大将の人柄がナイス☆でした。

 

土日が休みなのお店のですが、

平日の名古屋出張の際は、また行きたいと思っています。

 

今度は名古屋のスタッフを連れて!

 

では、もう眠いので、お風呂に入って休みます。

 

  taka

 

自分を急に変えるのは難しい。が、自分を変えるきっかけは、いつでも転がっている。



「形入(けいにゅう)」という言葉があります。



形から入る、という意味ですね。



これはとても有効な方法です。





「明るく振る舞うことで明るい気もちになれる」



「心の中を明るくすれば、自然に振る舞いも明るくなる」





そう。だから明るくなるために、形から入ってみる。



まずは意識して、明るい人の振りをすることだと思います。



目標とする人のことを「ロールモデル」といいます。



ロールモデルを探してリスペクトする。



そして、そのひとをイメージするのも良い手です。





もちろん最初は違和感がありますよ。



今までの自分とは違うのですから。





でも慣れればある程度できるようになり、



いつしかそれが心地いいと感じるようになります。





行動には「アクション」と「リアクション」があります。



先に声をかけるのがアクションで、それに応えるのがリアクション。



サーブとレシーブですね。



アクション(サーブ)とリアクション(レシーブ)では、



そのときの表現方法が明るさのイメージに大きく影響します。





明るいアクション、明るいリアクションを心がけてみるのです。



明るい印象をあたえるのは「笑い」と「微笑み」です。



笑顔や微笑みによって、相手の心が明るくなることもあります。



人を笑わす、喜ばすようなことを考えて実践することでしょう。



それには、サービス精神が必要です。





自分を急に変えるのは難しい。



でも、自分を変えるきっかけは、いつでも転がっています。





たとえば、髪型を変えてみる。



そして服装の色や形を明るめに変えてみる。





どう変えるかは人それぞれですが、



基本的には5才以上若く見えることがポイントです。





そして10年から20年前の、微妙に古くさいテイストを避けること。



30年以上前ならレトロになるからいいけどね。





レトロでもヴィンテージでもない、



中途半端な時代の服装や髪型、メイクが危険なのです。





変え方はいたって簡単。





10年前から20年前くらいの雑誌を見るんです。



そして自分に似ている人がいないか探すんです。



いたら危険。いますぐなんとかしましょうね。





まず見た目から変えてみる。



ミミック(擬態)という言葉があるでしょう。





虫だって魚だって、植物でさえ、



敵から身を守ったり、



餌をとるための工夫として、ミミック(擬態)を使うんです。





それと同じこと。





敵から身を守る……お客さまのクレームとか?



餌をとる……彼女(彼)のハートを射止めるとき?





ほらほら、自然界だって人間社会だっておんなじこと。





まずは古くさくてダサイ格好を捨てちゃう。



見た目をさっぱりと清潔に、明るくするだけ。





それができたら次に、新しい人間関係の場に入ってみる。



これはちょっと勇気がいりますか?



いやいや、逆に考えてみてください。



今までの自分を知らない相手だから、新しい自分を出しやすいんですよ。





そして、いいことがあったら素直に喜ぶこと。



たとえ小さくとも、いいことだったら喜ぶ習慣をつける。



喜んでいるフリでもいいです。



素直に歓びを表現できる人は明るく見られるからです。





辛気くさい顔、暗い声、聞こえない返事じゃぁ、



身を守ることも、餌をとることもできやしない。





そしてね。これがコツです。



「嫌いじゃない人」と会ったその瞬間、うれしそうな顔をするのです。



「好きな人」じゃなくてもいいですよ、嫌いじゃなければ。



それが慣れてくると、イヤなことがあっても気にしない性格になれます。







「相手に勘違いされたらどうする」かって?





気にすることはないのです。



たくさん勘違いさせて、愛されキャラになっちゃいましょう!



自意識過剰は何も生まない。



そんな小さなことに、いちいち気にしていたら前に進めませんよ。





あなたの人生は一度きりなのです。



そしてその人生は短いのです。





できるだけ破天荒にいきましょう。



いやいや。



気が小さい人も、破天荒者をミミックするのです。







性格そのものは変わりません。



だから変えようと思わなくてもいい。





行動を明るくするための、形から入る工夫を意識すればいいのです。





そうすれば「やる気」だって自然に沸いてきますよ。





急がずに、慌てずに、時間をかけて、工夫を続ければ、



少しずつ理想的な明るい自分になれるんです。


明るく振る舞うって、そんなに難しいことなのでしょうか?



根っから明るい人。



根は暗いけど、明るく振る舞っている人。



根が暗くて、しかも表情も声も暗い人。





さて。



あなたは、どの人と一緒にいたいですか?





やっぱり性格は明るいほうが、しあわせな感じがしますよね。





明るい人は友だちが多い。



明るい人は、恋人が出来やすい。



明るい人は、仕事も成果が出る。



明るい人は、困ったとき金を借りられる。





明るい人には、たくさんの人が集まります。





明るくなるのは無料です。



初期投資は必要ありません。



貧乏でも学歴がなくてもできますね。







「明るくなりたい」と願う人がいます。



でも、性格を変えることはとても難しいという。





「なかなか明るくなれない」



と悩んでいる人が多いんです。







人前で明るく元気に振る舞えたら



もっと楽しそうにできたら



人を笑わすようなおもしろい話ができたら



悩んでないで明るい気もちで過ごせたら



楽天的に考えられたら……



きっとしあわせになれるのでしょうね。





明るい、といっても「表面」と「内面」があります。



さて、どちらが大事なのでしょうか。





表面だけでは疲れてしまう。



内面の明るさが自然に表面に出る、それが望ましいのでしょうね。



けど、明るく振る舞うことで内面が作られていくのかも。





ここで考えてみましょう。



明るくするのは誰のため?





もちろん自分のためでもあり、



まわりの人にもプラスの影響があります。





「明るくなりたい」と言うけれど、



その気持ちには2種類あるんです。





「人から明るく見られたい」という思いと、



「自分の心を明るく変えたい」という思いの2つです。





自分が明るく振る舞うことが、自分にも他人にもプラスになります。





もちろん無理してまで明るく振る舞う必要はないですが、



ちょっとだけ意識して明るく振る舞ったほうがいい。







「ネアカ」と「ネクラ」という言葉がありますね。



「ネアカ」が良くて「ネクラ」が悪いのでしょうか?



いいえ、そんなことはありません。





ぼくはネアカなのかな?



それともネクラなのかな?





そんなこと、自分では分からないですね。





楽しいことが続くと自然にテンションが上がって、声も高くなる。





けど、嫌なことが続くとうつむき加減になったり、



溜め息が出たり、



「あぁ、なんかいいことないかなぁ」



なんて思ってしまったり。





無表情になるし、内心はネガティブな妄想でモヤモヤする。



でも、なるべくそれを表に出さないようにする。





ぼくだって小中学生までは、無口で人見知りでしたよ。



趣味は読書と映画鑑賞でしたからね。





同級生に友人はいませんでした。





好きなスポーツは剣道とテニスだけ。



個人競技しかやらなかった。



チームワークがへたっていうか、協調性がない子どもでしたね。





クラスメイトからは「ネクラ」っぽく見られたんじゃないかと思います。





もっとも、ぼくは「明るくなりたい」とは思ったことがありません。





「しあわせになりたい」と思って、



ただ日々やるべきことをやっているだけなのです。





ぼくにとっての「しあわせ」とは、



好きなことだけを、いつでもどこでも、やりたいときにやること。





好きなことに熱中しているときの心の中は、



いつも明るい状態だと思うんです。





明るさにもいろいろありますよね。





太陽の明るさ、月の明るさ、星の明るさ、



ロウソクの明るさ、電灯の明るさ…etc





太陽には太陽の良さ、月には月の良さがあるでしょう。



月のやさしい明るさは好きです。



太陽を目指すのもよし、月を目指すのもよし。



星のような輝きでもいいですね。





人間は自然に影響されるから、照る時ばかりでなく、曇るときもあります。



いつも明るくしてるのはすごく難しいんじゃないかな。



ときには太陽のように朗らかに。



ときには月のように、やさしい明るさで人を照らせたらいいよね。

 

 

人生はいずれ墜落する飛行機のようなものだ。

人は何のために生まれてきたのか?



なぜ苦しまなければならないのか?



苦しくても生きていかなくてはならない、それはなぜなのか?





みなさんは、そんなことをよく考えたりしますか?







ぼくは毎日考えてしまいます。



暇だからでしょうか(笑)







いや、暇かというとそうでもない。



とくに忙しいわけでもないですが。







職業柄、毎日のように見知らぬお客さまが尋ねてきて、



そして悩みを話してくれます。







ひとによって大きな悩み、小さな悩み、



深い悩み、浅い悩み、



どうしようもない悩み、意外と簡単に解決しそうな悩み……







さまざまですね。







ぼくは、人の悩みを聞くのが好きです。



そして一緒に悩んで解決していくことをライフワークにしています。







どうしてそんな職業を選んだのでしょう。







想いおこすと、あれは小学4・5年生ころからでしょうか。



「人は何のために生まれてきたのか?」



なぁんてことを考えるようになったのは。







友人と比較してみると、かなり恵まれた生活を送ってきました。



が、ぼくの周辺はそれと違って、かなり荒れ狂った環境でした。



その影響がおおきいのでしょう。







しかし穏やかな表面上とは違い、



ぼく自身の心の奥底には、



つねに渦巻きながら吹き荒れている疑問があったのです。





大人になった今でもその疑問は解決していません。







ある人は、こう言いました。



「生きるということは飛行機に乗っているようなものだ」



と。





その飛行機に乗ると、機内放送がこんなアナウンスをします。





「みなさま、この飛行機は墜落します。

しかしそれはまだ先のことですので、

それまで映画やお食事などでごゆっくりお楽しみください」







飛行機に乗っている時間は、



おそらく数十年から長くて80年くらいでしょう。





つまり、これが人生なのだよと。





人生という飛行機に乗っているあいだに何をするか。





「映画」「お食事」をどう楽しみ、どう喜べばいいのか、



ということです。





なぜならその飛行機は必ず墜落し、ぼくたちは絶対死ぬのです。







それは例外のないことです。







遅かれ早かれ死ぬことが分かっているのに、



その死までどうやって過ごすか、を考えて生きなきゃいけない。





それが人としての最大の悩みなのですね。







いずれ死ぬのなら、無理して学校いって勉強することもない。



金持ちになる必要もなく、



恋愛や結婚なんてめんどくさいこと避ければいい。



どうせ死ぬなら、出生したってしょうがないし、



人から尊敬されても無意味だ。







そんなふうに考えたことがありませんか?







ぼくはありますよ。



19才くらいまでは、そうやって思考を巡らせていました。







そのため、毎日がつまらなく、ただ面白くもない日々でした。





音楽をやっても身が入らない。



スポーツをやっても続かない。



バイトをしたけどのめり込めない。



恋人ができても、すぐに煩わしくなってしまう。







そんな10代でしたね。







しかし、あるとき大きな交通事故を起こしました。



そのとき「あぁ、人間なんて一瞬で死ぬんだ」と感じたんです。







でも、ぼくは生かされた。



死ななかった。



まだ死ぬ時期ではなかった、ということが分かったんです。





あれからいろいろ考えました。



せっかくもらった命。



無駄にしてはいかんなぁと。





やりたいこと、やれそうなことを、



とことんやってみようじゃないか。





そんなふうに考えるようになったんです。





「人はなぜ生きるのか?」



生きることの喜びを感じるためだったんだ。







「人は何のために生きているのか?」



自分以外の他者と生きる喜びを共有し、共感するために。







「人はどうして苦しまなければならないのか?」



悩み苦しむことで生きる喜びが強くなり、しあわせになる力を育てるから。







「苦しくても生きていかなくてはならない、それはなぜなのか?」



じつはすでに『しあわせになりたい』と心の底で叫んでいるから。







しあわせを強く望めば、



それが堅固なものであって欲しいと願うようになります。





それは一時的な喜びや満足ではなく、崩れたりしないもの。



煎じ詰めれば「信念」だと思います。







「信じる」ことで生きている、きっとそうですよね。







何を信じる?



誰を信じる?







それは人それぞれでしょうね。







親を信じる



学歴を信じる



会社や社会を信じる



国を信じる



宗教を信じる



占いを信じる



友人を信じる



配偶者を信じる







いろいろありますね。







でも、つきるところ、



自分を信じれるかどうかです。







親は先に亡くなります。



学歴はいつか役に立たなくなります。



会社や社会は利益が優先です。



国家も国民を守ってはくれません。



宗教だって問題が山積みでしょう。



占いなんて絶対的なものじゃない。



友人も配偶者も、けっきょく自分が大事。







そう、そこそこ!



やっぱり自分に帰ってくる。







自分を信じて、



自分を愛して、



自分を磨いて、



自分を語って、



自分を残して。







自分がではなく、



自分を!!







「が」じゃなくて「を」だよ。



「が」は「我」だからね。



「我」は「自分さえ良ければいい」っていう利己意識。







利己主義なんてくそだ。



だってさ、どうせ死ぬんだぜ。



自分のしあわせなんて考えても面白くもないじゃん。







そうだ。誰かをしあわせにしよう。



いったい誰を?



誰でもいいんだ。



ぼくが気に入ったひとなら、誰だっていいんだ。







しあわせになりたいひとだけ相手にすればいいんだ。







それはぼくが探すんじゃない。







「縁」が運んでくれる。







この世で、この地上で出会えるほんのわずかな人の中から、



「縁」の濃い人だけが残ってくれる。







こちらから探さなくとも、



むこうからやってくる。







「わたしをしあわせにして!」



ってね。







だからぼくは、つねに準備しておくだけでいい。



そのひとがくるのを、ただ待っていればいい。







縁のある人たちを、ある程度しあわせにしたらお役御免だ。



そのときが、ぼくの乗った飛行機が墜落する時なのだから。



taka

 

ほしよみ堂で紫微斗数の初級講座はじまります。

 

たいへんお待たせしました。

名古屋ほしよみ堂にて、「紫微斗数(しび-とすう)」の初級講座がはじまります。




毎月第1土曜日の14時から16時まで。

 

初回は7月3日(土曜) です。


 

このレッスンは完全予約制です。

当日いきなりのご参加は不可能です。

ご注意ください。

 

 

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初級レッスンでは……


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初級カリキュラム


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ほしよみ堂店主中島多加仁(星読み師★taka)

 

 

 

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