神話/コラム

神話

十干が己(つちのと)で 十二支が亥(いのしし)です

 

あけまして、めでとうございます!


今年は己亥ですね。



己亥は、「つちのと」「い」と読みます。


「猪」ではなく「亥」と書くのはなぜ?



その疑問、解消してもらいます。





亥年は「いどし」とか「いのししどし」と呼ばれます。



十二支だけだと12年で一周ですが、


本来の干支(かんし)は

60年で一周となります。



ということは、

自分が生まれた年の干支と

同じ干支が来るのは60年に一度。
 

 


つまり、還暦を迎える年は、

自分が生まれた年の干支を再び迎える年なのです。

 

 

ただし、ぼくたち東洋人の正月は、

今年なら2月5日になります。
 

 

ちなみに来年は1月25日が旧正月です。
 


ですから、まだ今は昨年に引き続き

【戊戌(つちのえ・いぬ)】ということですが、

 

まぁ、ぼくらの文化は和洋折衷ですから

正月が2回あってもいいかな、という価値観ですね。

 

 


さて。今年は、
 

十干が己(つちのと)で

十二支が亥(いのしし)です。



 

 

一般的に、その年の干支は
 

12の動物で呼ばれますよね。



 

なぜかというと、

十干十二支で60種類もあると複雑で覚えにくいから。



つまり、

覚えやすいように12種類にして
動物を割り当てたからです。



干支で『猪』を【亥】と書くのも、覚えやすくするため。



もともと亥は、

豚の骨格を描いた象形文字で

骨組みとか「核」という意味です。



核は、亥に木偏がついたものですよね。



そして十干は、

甲・乙
丙・丁
戊・己
庚・辛
壬・癸

の10個あります。


それぞれ読み方は、

甲(きのえ)・乙(きのと)
丙(ひのえ)・丁(ひのと)
戊(つちのえ)・己(つちのと)
庚(かのえ)・辛(かのと)
壬(みずのえ)・癸(みずのと)」

となります。


この十干は、中国の『陰陽五行説』に基づくものです。



五行説古代中国の思想で、

木・火・土・金・水の五元素が万物を構成する

と考えるものです。


中国からきた思想に『陰陽道』というものがあります。


すべては「陰」と「陽」の
 

2つに分けられるというもので、

 

これと五行説が結びついて
 

陰陽五行説となっています。



十干は、
 

五行(五元素)をそれぞれ
 

兄(え)と弟(と)に分けたもの。



 

兄は「陽」を、
 

弟は「陰」を意味します。
 



もともとはこの十干を

『えと(兄弟)』と読んでいました。



今年の干「己」の前は「戊」です。



戊には「分化繁栄」の意味があり
 

次の【己】には、

繁栄したものを統制する

という意味があります。



そして十二支は、

毎年度における木星の位置を示し

天を12に分けた呼び方です。



己亥の「亥」はイノシシですが、

本来は動物ではなく、植物の成長を表すものでした。



十二支のはじまりである【子】は、

『新しい命が植物の種子に生まれた状態』


とされています。



植物が育っていく過程で、


【辰】で出来上がり、

【巳】で成長のピークとなります。


ピークを過ぎると植物は徐々に枯れていきます。


20019年の干支、己亥はどんな年になるのでしょう。



【己】繁栄したものを統制する

【亥】生命が閉じ込められている


 

このことから、己亥の年は、

現在の状況を維持し、守りの姿勢に徹する時

と考えられます。



十二支は循環しています。


いずれ果実となる種子の状態が「亥」で、

次の干支である「子」の

新しい命が種子の中に生まれるために、

 

『しっかりエネルギーを蓄える年』といえます。
 


つまり亥年には

「次のステージへの準備期間」

という意味があるのです。



前回の己亥の年は1959年で高度経済成長でした。



この年を代表する出来事は、

皇太子様と美智子様のご成婚です。



60年前にご結婚された皇太子が、

ちょうど60年後に天皇を退位されます。


じつに不思議なめぐり合わせですよね。



自然災害が相次いでいますが、

戦後最大級の被害を及ぼした伊勢湾台風も1959年です。



個人的な話ですが、

もし伊勢湾台風が来てなかったら、

ぼくはこの世に誕生していなかったかもしれません。
 



なぜなら、


伊勢湾台風によって母は、

婚約を破棄したのですから。

 

 


 

 

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尾張「なかしま」のルーツ、 真清田神社とか大坂夏の陣とか


 

今日はちょっと気分転換に、
ぼくのルーツについて書いてみようと思います。



ぼくが産まれた尾張一宮に
天火明命(あめのほあかり)を祀る
真清田(ますみだ)神社があります。



masumidajinnjya-b.jpg



天火明命は、日向に天孫降臨した
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の兄で
アマテラスの孫です。



別の名に、

天照御魂神(あまてるみたまのかみ)
饒速日命(にぎはやひのみこと)

とも呼ばれています。




古事記や日本書紀よりも古く、
古代天皇家を記した歴史書に
『ホツマツタエ』があります。



そのホツマツタエに出てくる
古代の男性太陽神である

アマテルカミ(天照神)と同じ呼び方なので、

天照大神(あまてらすおおみかみ)の
語源になっているとも言われます。



ホアカリの長男がニギハヤヒと名乗って
物部(もののべ)氏の先祖になり、

次男が海部(あまべ)氏と尾張氏の先祖になった、

とも記されています。



そんな天火明命を祭神とする真清田神社。


「ますみ」と読みます。


ぼくが20年以上研究している天津金木(あまつかなぎ)を
解読したのは大石凝真素美。


「おおいしごり・ますみ」と名乗った男性です。



大石凝は、イシゴリドメからとった名です。



アマテラスの岩戸隠れの際に、
鏡を作った神が名前の由来です。



なにかしら不思議な縁を感じます。



さて、真清田神社ですが、

 

延喜式によると

『尾張国 中嶋郡 眞墨田神社』
とあり、尾張国一の宮です。



今は真清田と記しますが、
延喜式には眞墨田とあります。



しかも一宮市は、もともと
中島郡という地名でした。



その地を治めていたのが中島氏で
源氏の末流でした。



その先祖には、
光源氏のモデルになったといわれる
源融(みなもとのとおる)がいます。



平安末期から鎌倉初期に勢力を誇り
中島城を守ってきました。



鎌倉時代に起こった承久の乱で、
朝廷方について没落。



その後、中島氏は復興しましたが、
織田信長の手にかかって
室町時代に廃城となりました。



信長の死後、豊臣秀吉の家臣となり
大阪城に移って七隊長の組頭に任命されました。



それが、ぼくの父方の先祖、
中島氏種(うじたね)です。



氏種は大坂夏の陣において
二千名の兵を率いて奮戦。



しかし落城を待たずして自刃しています。



ちなみに母方の先祖は、

後藤又兵衛基次(ごとうまたべい・もとつぐ)

という武将です。



奇しくも又兵衛も、

大坂夏の陣にて
伊達政宗の家臣率いる鉄砲隊など
10倍もの兵力と互角に戦い、

突撃して果てています。



中島家は源氏で、後藤家は平家です。



ともに尾張の地にて活躍した豪族と武将でした。



「なかしま」と濁らないので
出身地は愛知県か九州でしょう。



関西出身であれば、
山偏の中嶋がおおいです。



4000年ほど前の名古屋は
周辺がほとんど海で、

ポカンと浮かんでいた島があって
それを『中島』と呼んだようです。



そのあと地殻変動や
埋め立て作業などで尾張平野となり
明治時代に一宮町となりました。



その地に工業高校をつくったり
糸屋と染色屋を営み、莫大な富を得たのが、
ぼくの曾祖父です。



さかのぼると中島城主の次男は、
妙興寺という臨済宗の禅寺を建立しています。



新陰流の上泉信綱が修行し、
無刀取りを編み出した場所として
よく知られています。



自分のルーツを調べると
面白いことがわかりますね。



歴史があって今がある。


自分は独りで生きているわけではない。



そう思い知らされます。



いずれ亡き父のこと、祖父のこと、
曾祖父のことも書いてみたいです。




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14日の金曜日です。


いつも通り、
純米吟醸720mlをご持参の上、
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初めての方もお気軽にどうぞ!

 

 

 

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七夕と天津金木と古事記の伝説



今日は7月7日、

そう『たなばた』です。


二十四節気でいうと『小暑』です。



3年前の七夕の日、

長年の夢だった本を出版することができました。



その本のタイトルは

 

『天津金木占術奥義』

 

といいます。



日本古来の占術、それが

天津金木(あまつかなぎ)です。



聞き慣れない名称ですよね。



一般にはまったく知られていない、

古神道の秘術だからです。






新暦ではありますが、
七夕(たなばた)です。



ほんとうの七夕は旧暦の7月なのでまだ先、

今年なら8月27日が

旧暦7月7日となっています。



『7』という数字は数秘術でいうと

【孤独】という意味があります。



夫婦であった織姫と彦星が

離ればなれとなった状態です。



織姫と彦星は夫婦なのに、

天の川を隔てて別居婚しています。



なぜ別居しているのか。


じつは

新婚生活を謳歌して遊んでばかりいたため、

怒った天帝が離れさせたからです。



天帝というのは織姫の父親で、

縁談をまとめた張本人。



機織りの名手である娘に

ふさわしい相手として

働き者の牛使いを引き合わせたのに

 

いちゃついて働かないので、

苦渋の決断を下したのです。


別離後も悲しみに暮れる二人に対し

技芸を磨くことを条件に

年に一度の再会が許されたのです。

 


この七夕伝説は、

天の川で輝く「夏の大三角形」


こと座のベガが織姫で、

わし座のアルタイルが彦星、


白鳥座のデネブが仲をとりもつカササギです。



新暦ではまだ梅雨ですが、

旧暦になると梅雨が明け星もきれいに見えます。



ところで、ぼくが生まれた尾張一宮。



じつは、七夕祭りが有名です。



日本三大たなばた祭り…って、

どこだかご存知ですか?



説は2つあります。



ひとつは、仙台・平塚・安城という説で、


もうひとつが、仙台・平塚・一宮という説です。



一宮市の守り神は真清田神社の祭神

【天火明命】です。


『あめの・ほあかりの・みこと』

と読みます。



その母が、古事記でいうと

【萬幡豊秋津師比売命】



「よろづはた・とよあきつしひめの・みこと」


と読むのですが…

織物の神様なんですね。



日本書紀では【栲幡千々姫命】と呼ばれます。


「たくはた・ちぢひめの・みこと」

と読みます。



彼女の長男は【天火明命】で、

次男が【邇邇芸命】なんです。



【邇邇芸命(ニニギのみこと)】


の本名は、とてもながくて


『天邇岐志 国邇岐志 天津日高日子番能 邇邇芸命』


というのが正式名称です。



「アメニギシク・ニニギシ

  アマツヒコヒコホノ

  ニニギノミコト」

まったく覚えられないので、

通称『ニニギ』と呼んでいます。



このニニギの尊こそが、

天照大神の孫に当たり、天孫降臨の主役です。



木花咲耶姫=コノハナノサクヤヒメと結婚して、

そのあいだに産まれた

海幸彦と山幸彦の父親なんです。



農業の神・農産物の神で、母親が機織りの神。



長男の天火明命(アメノホアカリ)も太陽と農業の神。



「火」は、ホという音を表し、

本来は稲穂の「穂」の意味。



稲穂がよく実って色づいた様子を表現した名です。



ということで、

農業神を二人も産んだ功績と

その加護により織物業が発達した

といわれています。




昭和31年に始まった一宮の七夕祭り。



その飾り付けの豪華さは、

仙台・平塚とならび

日本《三大七夕まつり》として称賛されたわけです。



尾張一宮は、

【終わりの一(はじめ)の宮】

とも読めますね。



天火明命(アメノホアカリ)は、

大和の葛城から移って来て尾張の地を開拓し、

そこに父神を祀ったのが

尾張国の産土神(うぶすながみ)として崇拝される

真清田神社神社のはじまり、と伝わっています。



古事記では、

アメノオシホミミ命の子で、

アマテラス大神の孫という系譜が示されているだけで

詳しい性格は語られていません。



そのせいか、

ニギハヤヒと同一とみられたり、

何かと謎の多い神様でもあります。



そんな謎めいた神が奉られた真清田神社。



北には岐阜の金華山があり、

そこがエネルギー発祥の祖山とされています。



ぼくは3ヶ月に1度、
この真清田神社に参詣します。



天津金木は、

大石凝真素美(おおいしごり・ますみ)という

神道家が研究しています。



ここにも【ますみ】という言葉が

 つながっている気がします。

 

 

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中島多加仁【星読み師☆taka】

 

 

ほしよみ堂の誕生日


今日は3月3日、ひな祭り。


じつは名古屋に

ほしよみ堂が生まれた日です。

 

もう7年も前のこと。

 

お店は長く続けること、

これにつきますね。

 

10年目指して、これからも

占い師をたくさん育てます。

 

さて、

三月三日は雛祭りですが、

「桃の節句」とも言いますね。

 

五月五日の端午の節句が

「男の子の節句」

といわれるのに対し、

女の子の節句とされています。

 

五は火(剛)で陽性、

 

三は水(身)で陰性、


というわけです。

 

しかし現在の三月三日では

桃の花には早すぎますね。


ところが、旧暦でいえば

1ヶ月ほど遅いので、

ちょうどよい季節なのです。


ちなみに今年ですと

今月の30日が旧3月3日です。

 

 

 

名古屋ほしよみ堂では、

タロットと手相ができる占い師を募集しています。

 

 

男女1名ずつ。

 

 

 

 

節分のほんらいの意味



今日は2月3日、
そうです節分です!



そもそも節分って、
なんなのかご存知ですか?


節分という言葉は、
「季節を分ける」
という意味が含まれています。


言い換えれば、
「季節の変わり目」
という意味になります。


ですから、


春夏秋冬どの季節にも、

節分はあるのです。


では、どうして
2月3日なのでしょうか?


また、どうして節分は、
年に一度しかやらないのか?



+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+
節分のほんらいの意味
+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+



節分は、
季節の変わり目ごとにあります。


季節の分かれ目とは、
立春・立夏・立秋・立冬のこと。


その前日が、
節分と呼ばれているのです。


ただ季節は「春夏秋冬」と書きますね。


その一年の始まりは「春」です。

その春の始まりが立春、
つまり2月4日なのです。


立春の前日である2月3日が
節分の代表となったのです。


お正月に送る年賀状にも、
「新春」とか「迎春」と書きます。


その「春」が始まる前日、
新しい一年が始まる前日に、


「これから始まる新しい年が、
災いの無い年になりますように」


との願いを込めて、
一年に一度、特別に行うのです。


大晦日には「大掃除」をしますよね。


この大掃除も、
旧年の汚れや邪気を払う行為。


綺麗な気持ちになって、
新しい年を迎えるんです。


では、なぜ豆を撒くのでしょうか?

 

「鬼門」って聞いたことありますよね。

 

風水や家相などで使われる言葉で、
北東にあたる方位が鬼門です。


なぜ北東の方位が鬼門なのか…


鬼門の方角は十二支では、

丑と寅の方角に当ります。

 

 

丑の角を生やして、

寅のパンツをはいている姿、

 

それが鬼ですよね。


東洋占星術では、


北東を『艮』と書きます。

 

この艮(ごん)を

「うしとら」と読むのです。


鬼門は「鬼の出入りする」方角。


この邪気(邪鬼)を祓うことにより
春が無事に迎えられる
と考えられていました。

しかし、その実態は、


国常立尊(くにとこたちのみこと)

という偉い神様を、

北東に閉じ込めておくために

悪神によって作られた一種の呪い

のようなものです。

伝説によれば、

国常立尊はかなり厳格な神様で、

そのため支配にやり切れず

神々が一致して引退をお願いした。

 

そして国常立尊と配下の神々は
反対勢力の世論に抗して
引退になられたとなっています。


北東(うしとら)に引退せられた日、
これが節分の日だったんですね。


だから北東(艮)は、
汚れた場所というよりも、
厳格で尊い場所なんですね。


ちなみに「鬼」という字を
「おに」と読みます。


この「おに」という日本語は、
「陰(おん)」に由来します。


「陰」とは目に見えない気ですが

邪気を臭わせて、


「おに」とした
のです。

また、隠れている怖い者をさす

「隠人(おんにん)」が変化した

という説もあります。


ようは、形の見えない災害、病とか飢饉など、

想像を超えた恐ろしい出来事は
鬼の仕業と考えたのです。


つまり、

新しい年(立春)を迎える
前日(立春の前日・節分 )に、

鬼に豆をぶつけて邪気を払い、
福を呼びこもうというわけです。


反対勢力の神々は、

「煎豆に花が咲いたら出ても良い」


と言って、
節分の行事を伝えました。


煎った豆には、
花なんて咲きませんよね。


ようは、

「永遠に閉じこもっていてください」

という意味なのです。


そのためか関西のある地方では、

豆撒きの時に
『鬼は内、福は外』
と逆に言う風習もあります。


ちなみに最近流行の恵方巻ですが、

1998年(平成10年)に
セブンイレブンが全国発売にあたり、
商品名に採用したのです。


それ以前は「丸かぶり寿司」と呼ばれ
「恵方巻き」という文献なんてありません。


古来より日本は、
デッチアゲが大好きなのです!笑

 

 

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中島多加仁【星読み師☆taka】

 

 

アマテラスとスサノオにみる男女観

日本の神話を
読んだことがありますか?

古事記や日本書紀などに登場する
アマテラスという神さまがいます。

定説では、女性の神さまとして、
豊かな母性と慈愛に満ちた
太陽神として描かれています。

そして弟には、スサノオという
気性の荒い神さまがいました。

あるとき姉のアマテラスは、
弟の目に余る傍若無人なふる舞いに
業を煮やし、天岩戸に身を隠してしまいます。

太陽神が消えた世の中は、
暗黒の闇に包まれました。

そこで八百万の神々たちは、

「何とかお出ましいただこう」

と、戸の前で華やかに舞い踊り、
高らかに笑い合いました。

外の楽しげな様子が気になったアマテラスは、
思わずそっと岩戸を開けて垣間見た....その瞬間、

神々はアマテラスを外に連れ出すことに成功します。

そして無事、元の明るい世界に戻った、

という有名なお話です。

この岩戸神話では、
姉のアマテラスが、弟のスサノオの暴挙に腹を立て
身を隠してしまいますね。

これを現代に置き換えると、
男女間でありがちなシチュエーションだと思いませんか?

明るくて働き者の女性が、
飲んだくれてギャンブル漬けの夫に
我慢できなくなり、実家に戻ってしまう。

そんな設定は、ドラマだけでなく、
実話でもよくあるものです。

この神話には、

そんな男女の性質の違いが

よく描かれています。

まずひとつは、
男性が持つ攻撃性ですね。

スサノオは乱暴にふるまいますが、

男には本来『優劣をつけたい』とか

『勝ち負けをはっきりさせたい』

という強い欲求があります。

これは、
遺伝子に組み込まれた記憶と、
男性ホルモンの刺激によるものです。

他人に勝ちたいと思えば、
危険を冒すことも多いもの。

その時に感じるスリルを、
喜びと感じる男性も少なくありません。

しかし女性は、スリルよりも
平和や安定を求めます。

この神話でもアマテラスは、
母性と慈愛に満ちた神として
描かれています。

女性が、スリルより平和や安定を求めるのは

『子どもを産んで家庭を守る』

という社会的役割が長かったため。


そしてふたつ目は、
女性がもっている多様な好奇心です。

男性は、脳の一部を徹底的に使い、
ひとつのことにのめり込む傾向が強い。

それに対し、女性は左右の脳をまんべんなく使い、
さまざまなことに広く浅く興味を向けます。

裏を返せば女性の方が、熱しやすく冷めやすい。

たとえば、こんな経験はありませんか?

夫婦ケンカをしているところへ、
奥さんの友人から電話があります。

さっきまで、
「なんで分かってくれないの!」
と泣きながら抗議していた奥さんが
数分後に旅行の話題で盛り上がる。

岩戸神話の中では、
怒り心頭だったはずのアマテラスが
外の賑わいが気にかかり、
うっかり岩戸を開けてしまいます。

これも、女性が持つ
多様な好奇心のためなのです。


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中島多加仁【星読み師☆taka】

 

 

2600年以上昔から暦はあった?

こんにちは。星読み師☆takaです。

今日は『建国記念の日』です。


文字通り、

日本という国ができたことを記念する日です。

 


 

では、日本はいつ頃できたのか?

というと…

これが、とんでもなく昔の話で、

今から、2600年以上も前のこと。

 

 

初代天皇とされる、

「神武天皇(じんむてんのう)」が即位された日、

それが2月11日だった。

という一説に、基づいているわけです。


日本が起こった日ということで、

昔は「紀元節」とも呼ばれていました。

で、その根拠となっているのが、

「日本書紀」という古文書ですが、



辛酉(かのと・とり)の年の正月、

庚辰(かのえ・たつ)の朔日に、

神武天皇が即位した…

 

と記述されているのです。

 

日本書紀がまとめられたのは、

いまから1300年ほど前です。

その時から、すでに、

「十干」「十二支」を使った

暦による管理がされていたわけですね。

 

 

 

 

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中島多加仁【星読み師☆taka】

 

   

 

立春は、神界の正月

おはようございます。

 
今日は名古屋にいますが、
夕刻には東京に戻ります。
 
昨日は『節分』でしたね。


「豆まき」や「恵方巻き」
といった行事をされた家庭も
多いのではないでしょうか。


本来「節分」とは、
各季節の始まりの日の前日を言います。


その各季節とは、

立春・立夏・立秋・立冬の4つ。


ようは「節分」とは

「季節を分ける」という意味です。

 


一般的に「豆まき」は

鬼を払う儀式とされています。




今日は『立春』です。

一般的には《祝日》ではないので、

とくに意識はしないかもしれません。

 

が、占い師にとっては
とても重要な日なんです。

昔のカレンダーには

「二十四節気」というシステムがありました。


《太陽の動き》をもとに

1年を24分割したもので、

「季節」を定めるために使われていました。


「立春」も、その24節気のうちのひとつ。


『四柱推命』や『九星気学』では、

立春を年のはじまりとしています。

つまり、今日から年運が変わるということ。


中国では立春を重要視して、

正月の行事をこの日に行っていた

ことに由来しています。


昔ながらの習慣といえば

「旧暦」を思い浮かべます。


というと、

立春イコール「旧暦の正月」

とおもわれるかもしれませんが、

そうとも限りません。


ちなみに今年の旧暦の1月1日は、

現在のカレンダーでいうと

2月8日にあたります。


では、なぜ、節気の年明けである立春と

旧暦の正月の日付がズレるのでしょうか。

それは旧暦が

《お月様の動き》をもとに
つくられているからです。

旧暦の「1日(ついたち)」は、

かならず『新月』になります。


「立春」は『月』ではなく

《太陽の動き》をもとにしており、

必ずしも新月にはならないのです。

ちなみ同じ東洋占術でも
『紫微斗数』は、
この「旧暦」を使います。

「太陽のカレンダー」と「月のカレンダー」


現代に残っている風習は、

それが混在した形というわけです。

さて、立春と旧暦正月は

「誰のための正月か」
という違いでもあるんです。


立春は「天界の神々の正月」

旧暦1月1日は「人間界の正月」

 

といわれています。

神道では「立春祭」といって

神界の正月を祝います。

ちなみに、

『四柱推命』と『紫微斗数』
両方の占いを使うぼくは、

立春にも旧暦正月にも
参拝にいくことにしています。


じつは 《みんなが行かない日》だからこそ、
ご利益も期待できるんです。

 

 

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中島多加仁【星読み師☆taka】

 

 

なぜ節分に「煎り豆」をまくのか?

 

おはようございます。
星読み師☆takaです。

今日は午後から名古屋へ出張です。

明日は「立春」です。

そして立春の前日である今日は、
豆まきを行う「節分」です。

本来「節分」とは、
各季節の始まりの日の前日を言います。

各季節とは、

立春・立夏・立秋・立冬の4つです。

ようは『節分』とは

「季節を分ける」ことを意味しているわけです。


豆まきを行う「節分会」の行事が全国で広まり、

「立春」の前日の「節分」が

特に知られるようになったのです。

さて。

どうして節分に「煎り豆」をまくか、ご存知ですか?


実は、この「煎り豆」の風習は

『艮の金神』のためだったのです。

艮は「うしとら」と読みます。

丑(うし)と寅(とら)の組み合わせです。


 

本当の名前は

『国常立之尊(くに・とこたちの・みこと)』といいます。

 と読みます。

 

この神様は、天地の律法によって
神界を治めようとされたわけですが


あまりに厳格であったため、
神々から不満が続出して、引退を迫られるわけです。

不満を訴えた神々は、髭や手足の爪を抜き

「煎り豆に花が咲くまで出てくるな」


という呪いの言葉を投げかけて
追放してしまったのです。

艮の金神(クニトコタチ)が
悪神たちにかけられた呪い。

それが節分行事の本来の意味なのです。

煎り豆は、芽も出なければ、
花も咲きません。

つまり、

「永遠に、二度と出てくるな」

という呪詛(じゅそ)なのです。

 

この悪神たちは、

クニトコタチを追放した呪いを、

民衆に流布しました。

それが豆まきです。

クニトコタチは、

北東の方角である丑寅に閉じ込められ、

「艮の金神」と呼ばれるようになったのです。


丑寅の方位を「鬼門」と言います。

 

しかし本来は『貴門』という意味なのです。

「鬼は外、福は内」

この鬼は、まさしく

クニトコタチのこと。

福とは、不苦。

これはですね、

苦しみのない甘えた世の中になること。

つまり悪神が、

人間を堕落させるために、

これ以上レベルアップしないように

企画したイベントなのです。

ところで「追放された」と言えば、

思い出すのが「スサノオ」ですね。


アマテラスの怒りを買って

天から追放されています。

同様に、

髭や手足の爪を抜かれて追放されます。


そのため

「スサノオ」と「クニトコタチ」は

同一神ではないかという説もあります。

この「艮の金神」の鬼門の封印は、
じつはすでに解かれているのです。

なので近年、
豆まきをする風習は減り、

かわりに恵方巻きが
メインになってきたわけです。
 

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中島多加仁【星読み師☆taka】

 

 

大晦日と福の神


さぁいよいよ1年の最終日、
いわゆる『大晦日』です。

今年はどんな年でしたか?

ぼくもいろいろありました。



一番おおきな出来事は

シェアサロンとワーキングスペースと

カフェを同時に立ち上げたことでした。

 

同時に、今までとは違った

あたらしい人材と人脈がたくさんできました!

 

 

さて。

大晦日は《大きい晦日》と書きます。


晦日(みそか)は《つごもり》ともいい、

月の最終日のこと。

そして今月は、
いうまでもなく1年最後。

最終日なので、

大晦日というわけです。


大晦日といえば、大掃除をしたり、

年越しそばを食べたりします。

紅白歌合戦も定番ですね。

神社では年越しの

大祓(おおはらえ)を行い、

寺院では除夜の鐘が響きます。

 

 

なんだか世間全体が、

特別な雰囲気に包まれる日です。

 

年が改まって、心機一転。


「大晦日」をメインにした年越しの行事は、


本来《ある存在》を歓迎する、
大切なイベントなのです。


その、ある存在とは、
歳神様(としがみさま)のことです。

 

 

では歳神様って、
いったい何でしょうか。

簡単にいうと《福の神》です。

詳しく分類すると
3種類に分かれます。

ひとつ目は《太歳(たいさい)》。

木星を神格化したもので、
占いに使われます。

ふたつ目は《歳徳神(としとくじん)》。


節分に食べる
恵方巻きってありますよね。


その《恵方》を司る神様で、
五行の法則をもとに生み出された

方位の神です。

みっつ目は《大年神(おおとしのかみ)》。


神話から生まれた穀物の神様です。

 

いずれにも共通するのが、
「春」というキーワード。


とくに日本人のような農耕民族は、
植物の生命こそが運命を左右する
偉大な存在でした。


気温の上昇とともに、
草木は芽吹く光景を見て、
新しい運気のはじまりを予感したことでしょう。


「春」という言葉には、
そうした生命の息吹と

1年の期待が込められています。

「歳神様」とは、
春への期待と畏敬の念の象徴。

それが福の神の正体です。

新年のことを

「新春」ともいいますね。

でも「春」というには、まだ寒すぎる。


「新暦」を採用している現代では、
実際の気温と違和感があります。

ですが「大晦日」も「新春」も、
本来《旧暦》の行事の名残りです。

旧暦を使っていた当時の人にとって
大晦日とは、新しい春、
つまり「歳神様」がくる前日。

掃除をすませ、心身を清め、
「歳神様」を丁重に迎え入れる。

そんな儀式を行う日でした。

今日は、いっそう清浄な心で、
歳神様を迎える準備をしてください。

それでは、よいお年を!

 

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中島多加仁【星読み師☆taka】

 

 

桃(百)の節句と上巳の由来

おはようございます。

今日は3月3日。ひな祭り。

そして『名古屋ほしよみ堂』が生まれた日。

ちょうど5年前のことです。

いやぁ、おめでたいです。

続ける大切さを、ひとりで噛み締めています。



この4年の間に、メンバーは入れ替わりましたが、
根本的な理念は一貫しています。

なぜならば、永遠に変わらない信念があるからです。

今後は、今のメンバーを礎に、らなる増員を考えております。


さて。三月三日は雛祭りですが、

「桃の節句」とも言いますね。

 

 

五月五日の端午の節句が「男の子の節句」といわれるのに対し、

女の子の節句とされています。


ちなみに元々は節日に供する」として

『節供』と書くのです。

 

毎月の《句切り》を示すため、節句と書くようになったわけです。

ちなみに占術家は『節入り日』と使います。

さて、この節句。

江戸時代に『五節句』として、法制化された式日の一つでした。

しかし、現在の三月三日では、の花には早すぎますね。

ところが、旧暦でいえばヶ月ほど遅いので、
ちょうどよい季節なのです。

ちなみに今年ですと、4月21日です。

三月三日は、とは「上巳の節句」とか

「元巳」といわれました。



「上巳(じょうし)」とは

旧暦三月の上旬の「巳の日」という意味です。


ですから、三日ではありません。

今年ならば4月23日なのです。


また「元巳(げんし)」も同じで、

最初の巳の日という意味です。

なぜ『巳』の日だったのでしょう?

 

十二支での『巳』は、

植物に種子ができはじめる時期されます。


そこから、「いた種が実を結ぶ」つまり

才能の開花をイメージしました。


古来より蛇は、知恵や財産をもたらす神として崇められてきました。

祭祀の「祀」は、示す偏に「巳」ですよね。

この「祀」とは、然神を祀る意味なのです。

自然神の代表格が、巳(蛇)だったからです。

 

七福神の紅一点である「弁財天」は、蛇の形をした神です。

おそらく、そこから女性=蛇(巳)と連想したのかもしれません。


弁才天は、才能を引っ張る役目です。

それには「粘着性のある長い紐」が必要です。

また「巳(実)を結ぶ」にも掛けられています。

蛇の脱皮は「死と再生」を連想させます。

多産と豊穣を表し、お金に縁のある生き物とされました。


そんな『巳』が、三月三日になったのは

三国時代、魏(220-265)の国でした。

三月三日と「三」が重なることから

「重三(ちょうさん)の節供」ともいわれました。



上巳の節供に河で禊ぎを行い、穢れを落とす。

これを「上巳の祓(じょうしのはらえ)」といいます。



この文化が平安時代に日本に渡り、

貴族階級に取り入れられたのです。



河での禊ぎに変わって、

紙人形で体を撫でて穢れを移して川や海へ流す…

という行事が生まれたのです。



その紙人形を、形代(かたしろ)と言います。

これが「流し雛」の原型です。

この「流し雛」が、公家や上流武家の間で
上司への贈答品となりました。

質素だった形代が、豪華な人形になったわけです。

また、公家の子女が人形や小型の調度品を並べて遊ぶ
ままごとが発生しました。

これが融合して「雛人形」へと発展したのが、
室町時代といわれています。

さて、江戸時代になって、庶民にも桃の節供が浸透しました。

農民にとって、
桃の節供を過ぎる頃から秋の収穫期まで、農作業が続きます。

楽しみの少ない時代です。

これから始まる辛い労働に備え、
楽しみながら滋養を摂ろう…

ということで、
磯や砂浜で潮干狩りをしたのです。

旧暦の三日は大潮に近く、
潮干狩りにはもってこいの時期なのです。

現在でも、桃の節供に蛤を食べる習慣が残っています。

また、「貝合わせ」という
神経衰弱のようなゲームがあります。

蛤の貝は他の貝と一致しません。
そこから《貞操》をイメージしました。

蛤は水の汚れを嫌うので、《純潔》を意味すると考えたのです。

では、なぜ『桃』の節句というのでしょう。

それは「桃」が、暦三月を代表する花だからです。

中国では、恋愛のことを『桃花』と呼んでいます。


周の時代には、詩経の中で

「桃の花のような女性」とも謡われています。


ちなみに、桃は『百』に通じます。

中国では、もも(桃)の木を仙木として崇敬しています。

仙人のいる場所を「桃源郷」と言います。

日本神話では、邪気よけに桃の実を投げたり、

桃太郎の名としても使われています。

そんな桃が、

「邪気を圧伏し、百鬼を制する」

ところから、桃=百と結びついたのです。

おなじ桃でも、花は女性ですが、果実は男性を差します。

 

今日は長く書きすぎました。
 

この話の続きは、

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中島多加仁【星読み師☆taka】

 

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