立派なご先祖様たちに 恥じない生き方がしたい/コラム

HOME > コラム > コラム > 立派なご先祖様たちに 恥じない生き方がしたい

立派なご先祖様たちに 恥じない生き方がしたい


ぼくは名古屋出身で27歳まで愛知県に住んでいました。



当時は名古屋を中心に東京と京都でセミナーを開いていましたが

東京での仕事が増えたので28歳で上京しました。



今から23年前のことです。



東京で、はじめてのセミナーは7月20日、海の日でした。



ぼくにとって想い出深い日です。



そのときの主催者や参加者たちとは長くセミナーを企画しました。


おもに東京と京都、そして広島がメイン会場でした。



大阪にはあまり縁がなく、残念ながら地元の名古屋はまったく人が集まりませんでした。


いや、正式には集まったんです。



けれど、東京や他の地域と違ってクチコミでの広がりが起こらないんですね。


じつは、ぼくの先祖は尾張の豪族で戦国時代は大名でした。



織田信長に焼かれた尾張一宮の中島城の城主で、

のちに秀吉の配下について関ヶ原の合戦で活躍し、大阪夏の陣で討ち死にしています。



彼の名を中島氏種(うじたね)といいます。



先祖をさかのぼると

光源氏のモデルとなった河原左大臣こと源融(みなもとの・とおる)で

その父親が嵯峨天皇です。



ちなみに、ぼくは河原左大臣から数えて
28代目になります。



そんな血統の氏種は七手組頭の一人にまで出世し、

片桐且元が上層部に睨まれ揉め事が起きた際には調停役となったほどの有能者。



冬の陣では2000の兵で守備し、夏の陣で遊軍として活躍。


大坂落城のときに自害しています。



小説『のぼうの城』の中に東南の門・佐間口寄せ手として
長束正家、中島式部少輔とあるのです。


この中島式部少輔こそが氏種だったのです。


ときを経て氏種の子孫に幕末期の幕臣、中島三郎助がいます。



ペリー来航時の浦賀奉行所与力で、

日本人ではじめて黒船に乗り込んだ人物でした。



海軍伝習所では勝海舟と同窓で

吉田松陰から海防を学び桂小五郎に師と仰がれた人物です。



話がちょっとズレました!



そんな立派なご先祖様に、恥じない生き方をしたいわけです。



そのためには東京だけでなく名古屋で事業を発展させたいのです。



その足がかりとして『ほしよみ堂』を作ったのですが

いまいち名古屋だけ破壊力に欠けるのです。



そこで、お願いがあります。



名古屋の地で、ほしよみ堂を再開したいので協力者を募集します。





★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 



 

 『日刊メルマガ』毎朝8時に配信しています。登録無料!

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

 




Twitterでしか配信しない
お得情報があります!






メルマガ同様、Twitterもちょうど10年。


フォロー忘れずに、よろしくお願いします!

 

 

Lineトーク占い師募集
国内最大級の占いサービス・LINEトーク占いの占い師を募集しています

< 今後のFC希望都市は福岡・広島・名古屋・仙台です  |  一覧へ戻る  |  風水を学んでおけば 相談者を満足させられる >

このページのトップへ